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成立の経緯

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 昭和十年(一九三五)から十三年にかけて展開された選挙粛正運動、これに続く国家総動員法の成立と国民精神総動員計画は、全市民に国策を浸透徹底させ、順応、協力、奉公を求める必要があった。しかし、札幌市にはこれらの施策を受け止め、住民に浸透させる公的統一的な地区ごとの組織がなかったために、ある時は各地区にある火防組合を通し、またある時は衛生組合によってなされたが、各団体の目的事業から逸脱しており、不徹底に終わらざるを得なかった。そこで十二年七月、市長に就任した三沢寛一は「真に画期的な、又全国としては類例を絶したる新社会制度建設の事業」(昭15・4・3公区奉告祭挨拶)に取組み、全市域を三一一に区画して公区を設定し、二〇ほどの公区が集まって一六の聯合公区を組織、これを市役所が掌握統制することによって市政の効率的運営をはかろうとしたのである。
 公区、聯合公区創設の経緯をまずみることにしよう。
隣保団結ノ精神ニ基キ市民ヲ組織結合シテ、地方公共ノ要務ニ協力セシメ、併テ国民精神総動員ノ実践的下部組織トシテ、本市特有ノ町内会設置ノ要ニ迫ラレ、予テ調査研究中ナリシガ、昭和十四年十二月二十六日課長会議ニ始メテ市長ヨリ公区及聯合公区設置規程案ヲ提示シ、爾後議ヲ練ルコト数回ニシテ成案ヲ得、次ノ如キ経過ニ依リ四月三日官幣大社札幌神社ニ於テ結成奉告祭ヲ行ヒ、茲ニ紀元二千六百年記念事業トシテ創設ヲ見ルニ至レリ。

設置経過
昭和年月日諸会合其ノ他摘要
一五、一、二三札幌神社祭典区委員会聯合公区区域設定ニ付協議
一五、二、 六第二回記念事業委員会記念事業一案トシテ公区及聯合公区設置規程案ヲ諮問ス
一五、二、一七第三回記念事業委員会規程案ヲ小委員会ニ附スコトトナス
一五、二、一八記念事業委員会小委員会二月十九日両回開催原案ニ若干修正ヲ加へ可決答申ス
一五、二、二三札幌市会札幌公区
聯合公区設定ノ件諮問
二月二十六日原案ヲ可トスル旨答申アリ
一五、三、 一札幌市告示第二十五号
札幌公区及聯合公区設置規程
一五、三、 一札幌市告諭第一号
公区及聯合公区設置ニツイテ
一五、三、 八公区及聯合公区創立委員会各祭典区代表委員、銃後奉公会実行班長、聯合衛生組合長、同副組合長、各組合長、火災予防組合聯合会長、同副会長、同各組合長、市会正副議長、各議員、市役所各課長二百二十四名公区及聯合公区区域及名称ヲ附議決定ス
一五、三、一一聯合公区代表委員会十六名創立事務ノ細部打合ヲ行フ
一五、三、一八札幌市告示第三十七号札幌公区及聯合公区区域并ニ名称指定
一五自三、一七公区創立総会各聯合公区内創立委員連名ヲ以テ各公区創立総会を召集公区規約制定公区長及同副長ヲ選挙シ市長へ推薦セシム全市三百十一公区
至三、二八
一五自三、二五聯合公区代議員会全市十六聯合公区規約制定及聯合公区長、同副長ノ選任ヲ行フ
至三、二九
一五、四、 三公区及聯合公区結成奉告祭官幤大社札幌神社ニ於テ全役員、顧問、創立委員参集式後市長ヨリ全役員ニ対シ訓示ヲナス
一五、五、二七札幌市告示第七十六号札幌公区及聯合公区徽章并ニ役員佩用徽章及公区聯合公区旗制ヲ定ム
(札幌市事務報告 昭15)

 右の経緯で注目される第一点は、提案から各公区設立まで一貫して三沢市長の積極的主導性がうかがえることである。これを山形、島根両県知事、名古屋市助役等地方自治体での経験が、時局の動静を受け止めるに敏感であったと見るべきか、また市政執行の個性的識見というべきか。十四年九月、内務省が部落会町内会の充実に関する訓令を出していたことや、十六年の市長任期満了時における再選非再選の市会議員対立要因とあわせて考えていく必要があるだろう。
 第二点は、市長案の実質的審議が札幌神社祭典区委員会と紀元二千六百年記念事業委員会においてなされ、市会はその結論を形式的に諮問されたにすぎなかったことで、後日の市会と常会の関係を暗示していたともいえる。
 第三点は、公区創設を紀元二千六百年記念事業とし、結成奉告祭を札幌神社で行ったことである。記念事業には、このほか札幌護国神社拡張造苑と円山町合併が含まれ、公区創設を加えることに反対した議員が退場した上で、市会は設置規程を満場一致で可決した。東京市が隣組を基礎にした町会整備を自治制五〇周年事業とした例によったのかも知れない。
 そして第四点は一六聯合公区、三一一公区という多数の住民組織が、わずか一カ月足らずの内に形式的画一的にしろ結成を完了したことである。市内における地区区画としては、もともと札幌神社の祭典区があり、旧総代人制時代の選挙区、小学校通学区、衛生組合の区画、火災予防組合の区画等が市役所業務と関連しながら住民生活に機能していた。また住民の自治性の強い親睦会、町内会、自治会等が多数存在していたことも、公区組織を容易にしたと思われる。さらに農村部には丘珠のように組制の伝統があり、豊平のような部制も根づいていた(本章七節)。これらが公区結成を急速に進める条件となったとしても、その短期完了は特徴といえよう。