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札幌音楽協会

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 札幌の洋楽史については、史料の博捜・膨大な関係者からの聞き取りがなされた前川公美夫『北海道音楽史』(一九九二)が、今日的研究として聳立する。前川の仕事と『札幌と音楽』(さっぽろ文庫57)をもとに洋楽史を素描したい。
 大正十二年九月には、札幌音楽協会札幌音楽普及会に代わって結成される。声楽部、器楽部、研究部といった同人のほかに、合唱部員と器楽合奏部員がおかれた。中心メンバーは、関東大震災を契機に札幌にきて昭和二年まで滞在するチェロ奏者の飯田実札幌混声合唱団でバスを歌う東末吉、大正十三年から昭和十四年まで庁立高女で英語を教えたピアノ奏者の小川隆子、そして田上義也といった顔ぶれである(前川公美夫 ピアニスト小川隆子札幌・和寒)。
 昭和三年四月二十一日に行われた「札幌音楽協会同人春季演奏会」では、ネプチューントリオ(熊澤良雄=バイオリン、扇関治=フルート、井口春子=ピアノ)によるバッハの「春のめざめ」、レーク夫人によるソプラノ独唱、シューベルト「魔王」、そのほか北光トリオ(田上義也・石井春省・小川隆子)、鈴木清太郎東末吉といった顔ぶれであった。
 昭和四年三月十日に札幌音楽協会が『サッポロの音楽』を創刊する。笹三津彦は、「『札幌の音楽』の使命」で、「『東京を一歩北に出て真に音楽を聴いて呉れる所は札幌を措いて外にない』とは従来屢々東都より来札の演奏家によって言はれた所であった」と自負し、札幌の音楽界を鳥瞰する出版物として、同誌の発行の意義をいう。創刊号の窪田實「『札幌ストリング.クアルテット』報」では、「アーマチュアの団体は一にメンバーが融合し得るや否やと云ふ事にあるので、テクニックの一々に其の末梢神経を尖がらせる事は末の問題であらう」と述べるが、工業試験所や鉄道省などのメンバーからなる札幌絃楽四重奏団、ひいては札幌音楽協会のアマチュア精神を象徴する言葉である。第二号の『サッポロの音楽』(昭4・4)は、協会の春季演奏会として行われる、鈴木清太郎ピアノ独奏会(五月四日、於公会堂)の特集号であった(多米浩旧蔵史料)。
 昭和十三年六月二十二日に改正された「札幌音楽協会々則」では、会の目的を「札幌市延イテハ北海道ニ於ケル音楽ノ進歩及普及ヲ図ル」とされ、事務所は時計台におかれた。事業内容として、音楽諸機関の連絡・統制、演奏会・講演会・講習会・コンクールの開催、機関紙の発刊などを掲げている(田上義也旧蔵史料)。