六十年代創刊の同人誌では、『岳樺(だけかんば)』(六十二年創刊)が、高山亮二(平成十三年死去)「有島武郎とクロポトキン」など研究論文も掲載した。六十三年創刊の『北聚(ほくしゅ)』は神谷忠孝が編集の中心となり、黒野朔の久生十蘭論、福島瑞穂の有島武郎に関するエッセイなど話題作を載せたが、平成十五年に休刊となった。
平成三年には、三号限りというユニークな文芸誌『小説壹號』(以下、『貮號』『參號』)が市内の亜璃西社(ありすしゃ)から出され、北村洪史、東直己、廣瀬誠ら若手が寄稿した。十年創刊の季刊『青い町』(編集・冬村勇陽)は、小説・詩歌・童話等あらゆるジャンルにわたる誌面構成となっており、十六年で二六号が出ている。
職域誌では、全道庁文芸誌『赤煉瓦』が昭和五十年に復刊し、平成十三年十月に四〇号が出た。『全逓北海道文學』は、批評とルポに力点を置く誌面作りを継続し、十四年にはサークル結成四五周年を迎えた。昭和四十八年創刊の『国鉄北海道文学』は、六十二年の二二号より『鉄道林』に改題、平成十五年の四三号「創刊三十年のあゆみ」にその軌跡がくわしく記されている。
詩誌は、伝統ある作家集団誌から、二人誌、個人誌など表情が多彩である。市内発行は一〇数誌であるが、昭和二十六年創刊『茴(うゐ)』は一時休刊を経て五十四年に復刊し、平成十六年十月に一二三号が出ている。昭和三十四年に河邨文一郎が創刊した『核』は、四〇名以上の同人が集い、二〇周年記念アンソロジー『核詩集一九八〇』、三〇周年記念『核詩集一九八八』なども出した。平成十四年に『核』七三号が出たが、主要同人である小松瑛子が十二年に死去し、河邨も十六年三月に死去した。『複眼系』(昭和四十五年創刊『ねぐんど』を改題)は平成十六年に三五号が出ている。昭和三十八年~五十七年に『詩の村』を編集発行した堀越義三は、五十九年に『現地』を創刊し、平成十年に三七号が出ている。
新しい詩誌には、平成五年創刊の『すぽーあ』や、六年創刊の、新妻博、瀬戸正昭らによる季刊『饗宴』などがある。二人誌では大門太と渋谷美代子の『蛇蠍(だかつ)』(昭和四十八年創刊)、平成四年創刊の渡辺宗子と佐藤道子の『弦』などがある。個人誌には、笠井嗣夫『密告』(昭和四十一年~五十七年)はじめ、谷崎眞澄『星座』(六十四年創刊)、松尾真由美『ぷあぞん』(平成七年)、福島瑞穂『樹しずく(きしずく)』(七年)などがある。江原光太の個人誌『面』(昭和六十三年創刊)は、六年に『妖(よう)』に改題したが、九年に一〇号で終刊となった。また、三十一年創刊の和田徹三編集による『湾』は、多くの詩人を育てたが、和田の死去にともない平成十一年の一〇四号で終刊となった。詩集は道内外の出版社から多く刊行されており、二年刊の永井浩『北の詩人たちとその時代』、北海道詩人協会『資料・北海道詩史』(五年)に詳しい。
短歌では、『燦(さん)』(昭和五十七~五十八年)、『弓弦(ゆづる)』(平成六~十一年)など若手の勢いある同人誌も出たが、いずれも短命に終わり、結社誌が安定した発表の場を保った。札幌発行のおもな短歌誌については表2にまとめたが、歌集や歌書については、北海道歌人会編『北海道短歌事典』(昭和五十五年)、同会による『北海道短歌年鑑』(三十年~)に詳しい。
表-2 おもな市内発行短歌誌 |
誌名 | 創刊年 | 発行の状況 | 代表者・編集発行者 | 備考 |
新墾 | 昭 5 | 月刊 | 足立敏彦 | 小田観螢創刊 |
原始林 | 21 | 月刊 | 中山周三→田村哲三→村井 宏 | 山下秀之助創刊 |
北海道アララギ | 31 | 月刊 | (札幌での発行人)田中章彦→小国孝徳 | 道南で創刊、平6年より札幌で発行 |
岬 | 57 | 月刊 | 増谷龍三→細井 剛 | 平14年終刊 |
樺太短歌 | 62 | 月刊 | 西村 巌 | |
花林 | 61 | 年8回刊 | 山名康郎 | |
北土 | 44 | 隔月刊 | 吉田秋陽→泉 司 | 畑沢草羽創刊 |
彩北 | 47 | 隔月刊 | 矢島京子、森 豊子 | |
瑠璃 | 平15 | 隔月刊 | 林多美子 | |
新凍土 | 昭41 | 季刊 | 八巻春悟→大久保興子 | |
ゆきざさ | 41 | 季刊 | 渡辺三男 | 上野新之輔創刊 |
歌群 | 55 | 季刊 | 北田寛二、山本 司 | |
はしどゐ | 58 | 季刊 | 魚住あらた | |
創北 | 平14 | 季刊 | 細井 剛 | |
英(はな) | 3 | 年3回刊 | 堀井美鶴 | |
炎(ほむら) | 昭61 | 年2回刊 | 山本 司 | |
太郎と花子 | 平12 | 年2回刊 | 松川洋子 | |
悪 | 昭56 | 不定期刊 | 佐藤初夫→ふるやおさむ | |
叙番外 | 59 | 不定期刊 | 高橋 愁(個人誌) |
市内外の俳句人口の増大は顕著である。北海道俳句協会の『北海道俳句年鑑』によると、年鑑参加者(道内全体)は創刊の三十一年には三八三名であったが、五十六年に一〇〇〇名を突破し、平成十二年は一五一八名と、創刊時の約四倍となった。昭和六十一年、北海道新聞社が「北海道新聞文学賞」から短歌・俳句を独立させ、同短歌賞・俳句賞を新設(表1札幌の文学賞参照)したことからも、短詩型文学の活況がうかがえよう。
おもな俳誌については表3にまとめたが、五十三年刊の木村敏男『北海道俳句史』はじめ、句集、句書も数多く刊行されている。また「北海道独自の歳時記を編もうと志すのは、大方の道内俳人がみな念願する夢」(「北海道文学大事典」)であり、その悲願に応える形で、五十九年、さっぽろ文庫『札幌歳時記』と永田耕一郎『北ぐに歳時記』が出たことも特筆すべきであろう。同年には菊地滴緑『樺太歳時記』も刊行され、また平成五年(新編は十四年)には、北海道の季節状況や植物、動物を資料とした木村敏男『北の歳時記』も刊行された。北の地独自の歳時記により、新たな表現も生み出されている。
表-3 おもな市内発行俳句誌 |
誌名 | 創刊年 | 発行の状況 | 主宰・代表者 (主に札幌関係者) | 備考 |
葦牙 | 昭12 | 月刊 | 長谷部虎杖子→山岸巨狼→正部家一夫 | 前身は大10年、牛島滕六創刊「時雨」。平9年から発行所は北広島へ |
壺 | 15 | 月刊 | 金谷信夫→近藤潤一→金箱戈止夫 | 斎藤玄が函館で創刊。平6年から発行所は北広島へ |
アカシヤ | 20 | 月刊 | 土岐錬太郎→岡澤康司→松倉ゆずる | 平9年から発行所は新十津川へ |
氷原帯 | 23 | 月刊 | 鈴木光彦→谷口亜岐夫 | 砂川で細谷源二が創刊 |
仙人掌 | 32 | 月刊 | 千葉鳩光 | 小平で創刊 |
北の雲 | 45 | 月刊 | 勝又木風雨→勝又星津女 | |
水芭蕉 | 45 | 月刊 | 菊地滴翠 | 多田東浦創刊 |
道(どう) | 47 | 月刊 | 源 鬼彦 | 昭31年北光星創刊「礫」→「扉」から改題 |
にれ | 53 | 月刊 | 木村敏男 | |
雪嶺 | 54 | 月刊 | 村井杜子 | 横道秀川創刊 |
梓 | 55 | 月刊 | 永田耕一郎 | 平10年廃刊 |
梯 | 平 5 | 隔月刊 | 中嶋 立 | 元「北群」。平10年休刊 |
粒 | 昭40 | 季刊 | 山田緑光 | |
草衣 | 50 | 季刊 | 園田夢蒼花→高原与袮 | 粕谷草衣創設「白石俳句会」会誌 |
すみれ草 | 53 | 季刊 | 菊田琴秋 | 創刊~平9年まで月刊 |
かでる | 平 5 | 季刊 | 新出朝子 | |
澪 | 平 8 | 年2回刊 | 椎名智恵子 | |
はしばみ | 昭38 | 年1回刊 | 榛谷美枝子 |
川柳は各区でサークルの句会がさかんに行われ、創作者の裾野を広げている。『2000札幌芸術文化年鑑』の三浦強一の記述によると、「詩性と情念句」の『川柳さっぽろ』(昭和三十三年創刊、主幹・斎藤大雄)、「川柳の基本に忠実な」『川柳しろいし』(三十七年、本田大柳)、「伝統句」の『川柳あきあじ』(四十三年、代表は越郷黙朗(こしごうもくろう)から葛西未明へ)のほか、四十九年創刊、塩見一釜の『道産子』は「勉強会がユニーク」であるという。平成元年には『川柳あつべつ』(進藤嬰児)も創刊され、個人誌から出発した『川柳北の魚柳』(平成五年、根本冬魚)や『川柳すみかわ』(九年、安部風悠)も生まれた。ほかに季刊の『北方領土』(昭和六十三年創刊、進藤嬰児)などがある。それぞれの活動については北海道川柳連盟『北海道川柳年鑑』(五十五年~)に詳しい。
児童文学では、道内同人誌の草分け・三十六年創刊の『森の仲間』がある。代表の和田義雄死去(五十九年)の後も、長野京子、井上二美、加藤多一らが継ぎ、平成十六年四月で四一号となった。朝日カルチャーセンター童話教室が出発点の『まほうのえんぴつ』は、昭和五十九年創刊であり、平成十六年十月で二三号が出ている。北海道児童文学の会機関誌『原野の風』(昭和四十五年創刊)は、平成七年に三三号で終刊となった。
以上の他何誌かについては、特色ごとに後述したい。