[現代訳]

検地仕法
 
  (改頁)
 
御検地の次第、今井村(松本市今井)より古見村(こみむら、東筑摩郡朝日村)までに掛かる用水の新堰の出入(でいり、もめごと)がいりくみ、訴えに答えるために検地を仰せ付けられ、小又(こまた・小俣、松本市笹賀)・神戸新田(ごうどしんでん、松本市笹賀)・神戸(ごうど、松本市笹賀)の三か村ともに出作(でさく、他村にある田畑に出向いてこうさくすること)の分が、八月二十一日から始まった、もっとも、それより以前に、地引絵図帳面ともに差し上げた、帳仕立の絵図面を左に記す、本書はそれぞれに控があるので、ここにそのときの次第を記しておく、
ただし、絵図は清水紙一枚くらいに耕地道を限って仕立てた、
 
  (改頁)
 
 
(注 原本ビューワ3の説明)
何枚でもこのように認め、荒れた場所は御検地のときに御見分のない場所を一枚の絵図に仕立てて耕地切りして用いた、
「天保五午年(一八三四)八月、今井分御案内小前帳、神戸村」、
字番、上今井分 一、反畝、誰、一、同、
「松本道何番、一、畝、名、見、見、見取」「市道、何番、一、反畝、名、一、同、一、同、一、見付、荒」
絵図は、御覧の後に下り、それにて御案内する、
 
  (改頁)
 
 
(注 原本ビューワ3の説明)
場所へ罷り出た人数、
村役人、腰掛持ち、細見持四人、枠持ち、刀担ぎ、検地役人、梵天(ボンデン)四人、沓かご、床几(しょうぎ、腰掛)持ち、槍担ぎ、茶釜、刀担ぎ、御奉行、水、茶道具、案内、間竿(けんざお、土地の広さを測るための竹製の竿)持ち、薪、人足、
 
  (改頁)
 
 
(注 原本ビューワ4説明)
村役人帳読み絵図持ち縄引き御役人細見(さいみ、細見竹・検地の時、耕地を測る際に用いる。竿竹の頭に藁束を付け、一筆の耕地の四隅に建てて目標とする)、梵天書留、細見、御奉行、見均、梵天芝地十字梵天縄引き、細見、梵天、細見、御役人御役人
場所、検地の所
 
  (改頁)
 
右図のように、当時、立毛(たちげ、りつもう、田畑に生育中の米や麦、収穫前のもの)の中なので、通路がたいへん悪く、細見(さいみ)という七、八尺(二メートル以上)ほどもある竹に藁を結び付け、畑の四方へ建て、その間々四方ヘ梵天を建て、それより縄を十文字に張り、三方にて四方をため(正しくする)、細見(さいみ)・梵天を真っ直ぐに見とおす、それから縄の十文字になった所に一人が立ち、十字を入れる、この十字の文字の如く十字に溝をつき、縄の十文字に入るようにする、どのようにまがっている畑であっても四角の形に見こみ直す、右の十字を真っ直ぐに入れれば、四方に長短があっても角になる、畑ごとに村役人が帳面に記し置き、
 
  (改頁)
 
絵図面ともそのときの持主も罷り出ている、それより御役人が大音(だいおん、大きな声)で元分と御呼びになる、読む人が大きな声で、「字(あざ)何何、十何番、原畑何畝何歩、見付畑何反歩」、これを「上見付」と唱える、かな見付を「下見付」という、「何村何右衛門」と読み、それを御書留になられる、十字の縄の先へ御廻り、縄引に声をかけさせ置き、絵図面とその時の持主も罷り出ている、それより御役人が大きな声で「元分」と御呼なさる、読む人が大きな声で「字何何十何番原畑何畝何歩、見付畑何反歩」、これを「上」、十字の縄の先へ御廻り、縄引に声をかけさせて引っ張る、御役人の杖に寸尺を記し置いて、「長」と呼べば「長」と答える、何十何間何尺何寸と読み、三方の御役人が御書留、読合わすと答える、このことを「うけたり」などという、村役人もそのとおりに記し置く、御奉行はこの縄張の畑の畔(あぜ、くろ)に床机を直して
 
  (改頁)
 
腰をかけて御覧なされている、それより次の畑へおくる、前のように畑を経るようにして始めに始へ繋いでいく、四方のうち芝地などを御覧なされ、芝地には二種類がある、芝地と木芝地という、芝地・柴地はこの如くである、昼前に一度御休みになる、その際に右のような間合(まあい)反畝になられるという、御弁当は松林そのほか木陰で御休みなされる、その場所で火を焚き、茶釜で湯を茶釜で湯をわかし、たくさんの土瓶に煎茶を入れそれぞれに出す、御弁当が終って御書留帳を御調べになられ、村役人に読み合せを仰せ付けられ、誠字より畝に直した所まで、一口続けて
 
  (改頁)
 
御読になられる、その早い事は稲妻のようだ、御改の反畝一筆(ひとふで)ずつ、この方の帳簿へ記していくのが間に合わないほどだ、それから反別をまとめ、古い反別との差し引き出た分を改めていくという、当村(神戸)と新田(神戸新田)・小又(小俣)ともに二十一日から二十五日の昼時までに終了した、二十二日の御弁当は神戸新田の定之助方で、検地道具有増、
 
  (改頁)
 
梵天(ホンデン)四本、梵天(ボンデン)打方、細見(サイミ)四本
 
  (改頁)
 
〓(ハリ)、又棒、間竿、六尺、二間、杖に寸尺あり、十字
 
  (改頁)
 
検地御役人、御勘定奉行豊田藤之進、御用人門田田門、同(御勘定奉行)高柳小三郎、御用人峰本助市、
 
  (改頁)
 
田中新五兵衛、御用人小泉仁助、御普請役永井杢太夫、御評定所書役後藤宗太夫・川添三十郎・金井勝蔵、御評定所書役見習河合和三郎、
 
  (改頁)
 
御評定所書役当分出役金井清三郎、御評定所表同心片石金左衛門、場所地改御代官手代野村茂市郎、
神戸村・同新田、出作分御検地御役人右のうち、
内豊田藤之進・永井杢太夫・野村茂市郎・門田田門、
 
  (改頁)
 
今井村御宿、御御奉行御三方は法輪寺、白洲客殿、永井杢太・野村茂市郎の上下四人は組頭の次郎兵衛方、後藤宗太夫・川添三十郎・金井清三郎の上下六人は名主の伝左衛門方、金井勝蔵・河合和三郎・片石金左衛門の上下六人は百姓代の半左衛門方、松本御出役・御奉行・御手代は百姓代の平兵衛方、
あとになって承ったところ、絵図は一枚の絵図に認め、道の境や土手や林などの境で小さく切るのがよいという、後で一枚の絵図に貼り合わせるとよい、
 
  (改頁)
 
このたび御公役様に差し上げた帳面のまとめ、
上今井分 
惣反別合せて二十二町二反三畝二十八歩、この高は九十石九斗四升九合三夕
そのうち、原畑八町三反四畝十五歩、この高三拾三石三斗八升、見付畑二町二十一歩、この高十石三升五合、見付畑一町十八歩、この高三石一升八合、
 
  (改頁)
 
下畑三畝十八歩、この高二斗五升二合、下々畑(げげばた)二反十二歩、この高一石二升、
〆て十一町五反九畝二十四歩、高四十七石七斗五合、畑荒の分の残り十町六反四畝四歩、
下今井分
反別合せて五町五反六畝十三歩、高二十五石八斗七升六合二夕四才、このうち原畑三反四畝二十一歩、この高一石三斗八升八合、
 
  (改頁)
 
見付畑一畝二十四歩、この高九升、見付畑二反三畝二十一歩、この高七、
上今井・下今井の惣反別合せて二十七町八反十一歩、高百十六石八斗二升五合五夕四才、
 
  (改頁)
 
このうち十二町二反歩は荒畑の分、高四十九石八斗九升四合、残って十五町六反十一歩、高六十六石九斗三升一合五夕四才、
 
  (改頁)
 
右は日々の御案内を見取り聞き書きして記したもの、
天保五午年八月 丸山角之丞(花押)