1.木曽ノ天然

      木 曾 山 林 学 校 要 覧      3
 
       1.木 曽 ノ 天 然
 
抑々(そもそも)木曽の地たる信濃国の西南隅に位し、東は上下伊那郡に接し、西は濃飛両国に隣り、南は下伊那郡及恵那山に拠(より)て美濃国に連り、北は東筑摩・南安曇の2郡及飛騨国と界す。広袤(こうぼう:注1-1)大約(たいやく:おおよそ)東西7里余、南北23里余あり。地勢高峻四境を回繞(かいじょう:めぐらす)し、郡中亦(また)、山陵ノ蜿蜒(えんえん:うねりまがっているさま)起伏せざる所なし。其山岳の大なるものは御嶽・駒ヶ岳の二岳にして、御嶽は西信飛の境上に聳(そび)え高さ万尺余。駒ヶ岳は伊那郡に接して東南に峙(そばだ)ち高さ8千尺、御嶽と相対峙して所謂(いわゆる)木曽の峡谷を形成す。地勢既に此(かく)の如くなるを以て気候概して寒冷なるを免がれず。但し西南に至るに従ひ漸次温暖を増す。福島の如くは中部に位すれども山郷の常として11月已(すで)に雪を見ることあり。陽3月雪尚(なお)消えず、然れども降雪の量は頗(すこぶ)る少く大雪も1尺に満たず。今累年極寒時の平均温度を見るに華氏27、8度(注1-2)の間にあり。諏訪に比ぶれば稍々(やや)温暖に、長野・本等と相伯仲す。且(か)つ山岳の懐に抱かれ風気強烈ならざるを以て比較的凌ぎ易きを覚え、夏季は極熱時の累年平均温度73、4度(注1-3)の間にあり。緑陰清風を送り涼気夕陽を待
 
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たずして至り、夜間は寧(むし)ろ寒冷を覚える程なり。されば軍(ぶんぐん:のむれ)の発生は殆(ほとんど)絶無にして、戸々帳(かや)を用ひず枕を高うして眠ることを得。実に夏の木曽は一種の極楽郷と云ふを得べし。
木曽は既に山間の一狭谷なり。固より食料に乏しく穀芽魚肉多くは之を他に仰ぐと雖(いえども)、而(しかれど)も山谷自らありあり小鳥あり岩魚あり。時に従ひて吾人の食膳を賑はし食欲を満たすに足れり。
木曽谷を貫流するもの之を木曽川となす。木曽川は源を鉢盛山に発し木曽山谷の流を併せ滔々(とうとう)西南に流れ去る。而(しか)して中山道(注1-4)は東北より木曽に入り鳥居峠以南は行々木曽流に沿ひ遂に美濃路に入る。道程実に20余里、古来十一宿の制あり。長亭短駅(ちょうていたんえき:注1-5)断続する所峻峰と急瀬とは到る処に絶勝を成し、古来文人雅客の歎賞して措(お)かざる所金玉の詩篇亦数ふるに遑(いとま)なし。御嶽は山容跌宕(てつとう:かってでしまりない)豪爽(ごうそう)、三伏(さんぷく:夏の暑い間のこと)雪尚消えず、実に峽中唯一の儀表(ぎひょう:手本、模範)たり。駒岳は三十六峰八千渓を包有すと称せられ、山骨稜々屏風(びょうぶ)を連ねたるが如く亦一偉観なり。命をからむと歌はれし桟(かけはし)は今は坦道(たんどう:平らな道)と化して只昔を偲(しの)ばしむるのみなれど、尚山相迫る所巌壁(がんぺき)を削りて道を通じ、直下木曽の清潭(せいたん:あおあおとした深淵)の汪洋(おうよう:広く、ゆったりしたさま)として碧を凝すを見る。寝覚の床は天下の奇勝谷幽に深く清秀深穏宛(えん:さながら)として仙郷を見るが如し。小野瀑布、風越の晴嵐、与川の秋月、徳寺の晩鐘、之を加へて木曽八景の目あり。其他氷ヶ瀬、鞍馬橋、常盤橋等も亦遊子(ゆうし:旅人)の激賞する所若(ごと)し、夫れ5、6月の交(こう:かわりめ)峡中の青葉若葉凉風に薫じ紅杜鵑(こうとけん:べにつつじ)所在山渓を彩るの
 
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或は白露已(すで)に降り満山の紅葉錦を曝す時、村(すいそん:のほとりの村)山郭(さんかく:山にかこまれた村)至る所、悉く好画図と変じ総て好詩郷と化し去るの思なくんばあらず。殊に福島は峡中の中心にして首都なり。、山河の形勝を占め古蹟亦尠(すくな)からず。金刀比羅の花年々紅雲を漲(ちょう:盛んにわき起こる)し、城山の楓葉(ふうよう:かつらの葉)歳々蜀錦(しょっきん:蜀工の錦、上代錦の一つ)を洗ふ。興禅寺畔旭日将軍の幽魂を埋め、長福寺中古英雄の遺物を存す。古関只旧趾を剰し古城僅かに石塁を残して転々今昔の嘆を発せしむ。
之を要するに木曽は名山に富めりと謂(いい)つべし、而して古来山霊英傑を生ずと云ひ、名山大沢龍を住ましむと云ふ所以(ゆえん:わけ、理由)のものは、其崇高なる天地自然の美景が人生に多大の感化と影響とを及ぼすことを語るものなりとせば、而して果して之を真なりとせば、木曽の天地は実に我が学徒の勉学修養に向て好適の地なりと云ふを妨げざるなり。論じて此に至れば勢(いきおい:なりゆき)木曽の人情風俗の如何を考察するの要あり。而して木曽谷は南北20里、其間人情風俗に小異あるは勿論なれども、之を概論するに質朴の一語以て之を蔽(おお)ふべし。乃(すなわ)ち山間住民の特質として或は進取の気象に乏しく、保守退嬰(ほしゅたいえい:注1-6)・因循姑息(いんじゅんこそく:注1-7)の嫌なきにあらずと雖(いえども)、一面に於ては概して温順にして質素率直にして勤勉毫も機心(きしん:いつわり、たくらむ心)を蔵せず、殆ど虚栄を知らず。是等は実に木曽人通有の資質にして特長なく、而して学徒に於て尤(もっと)も憂ふべきは軽佻・浮華・奢侈の悪風なりとせば、木曽の人情風俗も亦我学徒に向て好影響を与ふべきは殆ど疑を容れざるなり。既に彼の名山あり、而して又此人情風俗の美質あり、見る所接する所皆以
 
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て我学徒の心念(しんねん:気持、こころ)を洗ひ質実剛健の気風を養ふに足れり。嗚呼(ああ)木曽の天地に遊学するの徒、庶幾(こいねがわ:ぜひ、どうぞ)くは大過に陥ることなからんか。