町費

441 ~ 443 / 706ページ
 次に町の経済をみると、道路の修理、市中の掃除のようなものは、たいてい人足を課してこれを行い、そのほか臨時の入費は時々町内に割付けて出金させたので、別に年内の経費として予算をたてて多額の徴収をすることはなかった。規定の賦課は坪割銭祭礼銭筆墨紙料に過ぎない。
 坪割銭は享和元年9月箱館市中への達によれば、「地面持のもの、当年より左の割合の通り出銅申付け、名主ども取集め、町方諸入用出銅致させ候儀に付、名主給分の儀も右の内より受取らせ候積りに候得ども、右は又追て沙汰及ぶべく」とあるのを見れば、坪割銭はこの時から始まったものであろう。
 
内澗町弁天町大町一箇年地面一坪銭十文ずつ
大黒町、山ノ上町同六文ずつ
地蔵町鰪澗町仲町神明町同上四文ずつ

 
 この年徴収したのは400貫251文で、これを金に換算すると、当時1両は銭6貫800文換えであったから、すなわち、58両余に当たる。またこの坪割銭も文化元年5割を増し、同6年減じて半額としたとあるが、その割合についてはつまびらかではない。
 祭礼銭は、八幡社の祭礼がすこぶる盛んで経費も多くかかったので、宗門改下調の時、分頭25文ずつを徴収し、町役所に積立てておき、8月15日の祭費にあて、不足の分は見聞割で賦課徴収した。文化11年町役所の上書によるその費用は次の通りであった。
 
一 二百九貫五百三文  八幡神輿附惣社迄の入用
一 三百九十三貫二十七文  大町恵比須山入用
一 百十四貫九百四十五文  在方より取寄候人足賄代
一 百九十三貫六百九十七文  山ノ上町大黒山入用
一 二百十貫三百文  弁天町弁天丸入用
  〆千百二十一貫四百七十二文
      内
三百四十貫八百八十八文  祭礼積金の分
七百八十貫五百八十四文  町内割付の分

 
 筆墨紙料はこれも宗門改下調の時収入するもので、町役所費の一部分をなすものである。享和2年の収入額は左の通りであった。
 
二貫九百七十文  地蔵町
一貫九百四十四文  内澗町
一貫三百七十七文  大町
二貫三百七十六文  弁天町
一貫二百十五文  仲町
八百三十七文  神明町
六百二十一文  鰪澗町
四貫六百十七文  山ノ上町
一貫六百六十七文  大黒町
〆十七貫六百二十四文