坪割銭は享和元年9月箱館市中への達によれば、「地面持のもの、当年より左の割合の通り出銅申付け、名主ども取集め、町方諸入用出銅致させ候儀に付、名主給分の儀も右の内より受取らせ候積りに候得ども、右は又追て沙汰及ぶべく」とあるのを見れば、坪割銭はこの時から始まったものであろう。
この年徴収したのは400貫251文で、これを金に換算すると、当時1両は銭6貫800文換えであったから、すなわち、58両余に当たる。またこの坪割銭も文化元年5割を増し、同6年減じて半額としたとあるが、その割合についてはつまびらかではない。
祭礼銭は、八幡社の祭礼がすこぶる盛んで経費も多くかかったので、宗門改下調の時、分頭25文ずつを徴収し、町役所に積立てておき、8月15日の祭費にあて、不足の分は見聞割で賦課徴収した。文化11年町役所の上書によるその費用は次の通りであった。
一 二百九貫五百三文 | 八幡神輿附惣社迄の入用 |
一 三百九十三貫二十七文 | 大町恵比須山入用 |
一 百十四貫九百四十五文 | 在方より取寄候人足賄代 |
一 百九十三貫六百九十七文 | 山ノ上町大黒山入用 |
一 二百十貫三百文 | 弁天町弁天丸入用 |
〆千百二十一貫四百七十二文 | |
内 | |
三百四十貫八百八十八文 | 祭礼積金の分 |
七百八十貫五百八十四文 | 町内割付の分 |
筆墨紙料はこれも宗門改下調の時収入するもので、町役所費の一部分をなすものである。享和2年の収入額は左の通りであった。
二貫九百七十文 | 地蔵町 |
一貫九百四十四文 | 内澗町 |
一貫三百七十七文 | 大町 |
二貫三百七十六文 | 弁天町 |
一貫二百十五文 | 仲町 |
八百三十七文 | 神明町 |
六百二十一文 | 鰪澗町 |
四貫六百十七文 | 山ノ上町 |
一貫六百六十七文 | 大黒町 |
〆十七貫六百二十四文 |