場所請負人の交替

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 この請負入札によって、東蝦夷地運上金の合計は1万7000余両に達し、これに択捉などの運上金を加算すると約2万両となり、直轄以前の寛政11(1799)年の運上金概算3300余両に比べると約6倍の多額を示している。これは直捌中に漁業生産力が著しく発達したことにもよるが、競争入札の結果、高値にせり上げられたことにもよるのである。そのため請負後収支が償わず、運上金の滞納、請負人の交替などが続出し、直轄末期の文政3(1820)年の現状は左の通りになっている。
 
山越内  一三〇両  箱館 藤代屋藤吉
虻田  一〇〇両  松前 和賀屋七左衛門
有珠  一〇〇両  箱館 和賀屋卯兵衛
絵鞆 
  二〇一両二朱
 
  松前 阿部屋三治郎
幌別
沙流  一一〇両      同上
新冠  一一〇両  箱館 浜田屋佐次兵衛
静内  五三六両一分永一九〇文  松前 阿部屋伝六
三石  三〇〇両  箱館 栖原屋寅之助
浦河  六六四両一分永五〇文  松前 萬屋宇右衛門
様似  三〇四両  松前 萬屋嘉左衛門
幌泉  八〇八両  箱館 高田屋金兵衛
十勝  一四九両  箱館 大坂屋卯助
釧路  八五〇両  松前 米屋孫兵衛
厚岸  一、三七五両二朱  松前 畑屋七左衛門
根室  三、六〇〇両  箱館 高田屋金兵衛
国後  一、三五〇両  松前 柏屋喜兵衛
択捉  二、〇〇〇両  箱館 高田屋嘉兵衛
(『東蝦夷地請負調』『箱館問屋儀定帳』)

 
 とあって、最初の請負人で継続しているのは、わずかに7場所に過ぎなかった。しかも運上金は文化9年入札に比べて、約4割を減じて1万2000余両となったが、それでも寛政11年から見ると、なお3.6倍の額を示している。