恵山町史は昭和45年(1969)発刊された尻岸内町史の改訂とその続刊である。
恵山町の旧町名は尻岸内で、昭和60年(1985)4月1日変更郷土のシンボル“恵山”の名を町民の総意により決めたものである。この『尻岸内・シリキシナイ』という地名はアイヌ語『sirki-sirar. sirki-sirar-nay・「模様の岩」または「岩壁に形象ある川」の意(永田方正らによる)』を語源とする。
尻岸内の初見は、寛文9~12年(1969~72)頃か、その後、編纂されたといわれている津軽藩史『津軽一統志』に「ひゝら−尻岸ない−ゑきしない−こふい−ねたない」と見る。また、この地は「ヤクモタイン・狄乙名アイツライ持分」と記されておりアイヌが統治していたことが分かる。元禄13年(1700)の松前藩『松前島郷帳』には「是より蝦夷地 はらき−しりき内−ゑきし内−こぶい−ねた内……」とあり、尻岸内を含む戸井以東、噴火湾一帯、さらには太平洋沿岸からオホーツク海沿岸、知床岬までの東蝦夷地がアイヌ人の居住地とされてきた。尻岸内に和人の居住が制度上認められたのは、寛政11年(1799)幕府が東蝦夷地を直轄地とした後の享和元年(1801)、戸井町字原木から八雲町野田追までの下海岸・噴火湾沿岸の中核となる漁村集落−いわゆる箱館6ケ場所と呼ばれていた地域を日本人の『村並』とみなしてからである。そして、正式に『尻岸内村』として幕府に認可されたのは、その後、57年を経た安政5年(1858)で、幕府が再び蝦夷地を直轄地(安政元年・1854)とした後のことである。明治に入り尻岸内村は漁業は勿論、大規模な硫黄鉱山の操業により発展、同39年(1906)には『2級町村制』を施行。明治末から大正、昭和初期(戦前)にかけては漁業・鉱業(硫黄)の生産拡大・農林業の充実、また、海上交通の発達・函館から定期航路が開かれ下海岸随一の集落を誇った。
戦後の郷土は、幾多の困難を克服し、漁業の近代化・砂鉄の操業・水田の造成・陸上交通の整備、恵山道立自然公園の指定なども相俟って著しい発展をみせる。
昭和30年(1955)には人口も1万人を突破・住民の生活基盤も着々と進み、同39年(1964)、念願の町制を施行『尻岸内町』として新たな出発をする。
尻岸内町史はこの時代に“郷土の足跡と先人の労苦”を残すべく構想・編纂されたものである。当時、わが国は右肩上がりの驚異的な経済成長を続け、郷土尻岸内町の行政も大いに充実した時期であった。町史はこの時期、昭和41(1966)年5月編纂委員会を発足、同43(1968)5月には2年間で執筆作業を終え、同45(1969)年9月、わずか4年4か月で発行している。編集長浜田昌幸は、この尻岸内町史の編集後記に、編纂にいたる経緯・おもい・執筆上の労苦を綿々と綴っている。
以下、その主な内容を記す。
尻岸内に郷土の沿革資料として残されているもの、古くは、元村用掛村岡清九郎の維新前の記述・歴代戸長の手による明治12から19年の「尻岸内村開創関係文書(簿冊)」・大西高尚(古武井小学校長)編集、大正2年発行「尻岸内村郷土誌」・福士賢次郎村長編集の大正7年頃の、前掲尻岸内村開創関係文書を底本に統計書類を加えた「尻岸内村沿革史」の3点と、新しくは、教育委員田中富夫が昭和31年から2か年にわたって資料発掘に努めた「尻岸内村沿革史稿本」であった。
これらの資料を手がかりとし、更に前後に押し広めていくならば、遠い郷土の歴史の扉を押し開くことも可能ではないかと、考えたのである。それには勿論、幾多の困難な事態はあろう……〈中略〉……この分野の調査に赦される自由な時間をすべて捧げることを志した。それは、昭和33年(1958)6月のことである。
こうして手あたり次第、尻岸内に関する資料を集め、図書館に出かけては関係史資料を猟渉し、先学の方々を訪ねては教えを乞い、あるいは各種研究集会にも努めて出席した。……〈中略〉……そして、いつしか9年の歳月が流れていた。
前田町長から町史編集を正式に依頼されたのは、昭和41年4月のことであった。しかし、当時は明治維新後までの資料は蒐集・掌握・整理してはいたものの、明治中期から戦後・今日までについては掌握しきれずにいたが、その辺の事情を諒とされ、編纂作業を支える理解の深い方々を配してくださるとのことから、お引き受けすることとした。こうして昭和41年5月、町史編纂委員会が発足したのである。
編集・執筆の各委員はそれぞれの担当も決まり、幾たびかの会議を開催、各委員は八方に飛んで史資料の蒐集に力を注いだのであったが、関係諸官庁・団体の所蔵文書 は書庫深く埃を被り、必要とする資料を引っ張り出すにも相当の労力と時間を要した。……〈中略〉……こうした町史編集の過程に生じた史的空白を埋めるため、山と積まれた役場公文書の簿冊と取組み、各種年鑑を始め公刊統計資料や各種計画書など、市立函館図書館での閲覧に多くの時間をかけなければならなかった。 ……〈以下略〉
準備に9年間を要したとはいえ、収入役を兼務しながら、5年間という短い期間で町史発刊にこぎつけた浜田編集長・執筆委員諸氏の労苦、この編集後記からも窺い知ることができる。図書館等の古文書・歴史的資料の整理が進みインターネットからダウンロードもできる今日とは違い、当時の交通難のなかでの資料収集の苦労、コピー機やワープロもない中、原稿はすべて手書き、浜田氏が原本から模写したと思われる図版も随所に見られる。その集大成が1,300頁にまとめられ、昭和45年管内町村史に先駆け発刊されたのである。 この町史は歴史書の基本を踏まえ時代の流れに沿い記述されている。−以下内容例−
第11章 迎えた北海道庁時代/金子大書記官の巡視と道庁設置/国会開設要求と市制町村制の誕生/本道自治制への要望昂まる/戸長役場庁舎の古武井移転/2級町村制が施行された尻岸内/歴代村長とその業績/町村制時代初期の村会議員/歴代上席書記/歴代収入役/尻岸内村の当時の公規/部落組織と活動/明治末期の村財政/この頃の戸口統計から/明治期の産業の展望/生産量を誇る硫黄鉱/林政行政に逆行した大量消費/馬匹の放飼から舎飼へ/実利主義の明治教育/国家主義下の社会教育/交通も未だ開けぬ頃/警察と消防の生いたち/伝染病に手をやく/便利さを増す人々の暮らし/北海道と第7師団/宗教界と尻岸内/(節の見出し文を記す)
恵山町史編纂では、まず、尻岸内町史の内容を再検討し、文言等整理し残すもの、新たに入手した資料等をもとに書き換えるもの、割愛するものに分類した。次に町史の形式・構成であるが、最近の町村史の傾向・編集委員の意見、役場職員の要望等を考慮に入れ、いわゆる分野別の構成とし、内容は時代的流れに沿い記述した。
全面的に書きかえたものとしては、近年、調査研究が進んだ『先史編』『自然編』の地学的環境・植物。新たに書き加えたものとしては、本町の自然環境を特徴づける気候・自然災害・海洋・鳥類である。『産業編』の鉱業(硫黄鉱山・砂鉄ー古武井溶鉱炉など)、これについては産業考古学上からも重要視されており、関係資料・学術論文などを可能な限り掲載した。また、『宗教編』については、郷土の人々宗教心に鑑み少し突っ込んだ内容とした。なお、公安や軍事、商業など、全体構成・紙幅の都合で割愛せざるを得なかった分野については、尻岸内町史(函館市恵山支所で貸出し可能)を参照されたい。
多額な予算と時間と労力とを要し発刊された恵山町史である。多くの町民の方々の目に触れることを期待する。文章については生徒が郷土学習資料として活用することなども想定し、できるだけ平易な表現とし、且つ、歴史的なトピックに留意し、町広報に連載した“恵山むかしむかし”からいくつかを収録した。また、郷土の特徴ともいえる、自然−火山・海洋・植物(高山植物)・鳥類、先史−縄文・続縄文文化については(専門家に執筆を依頼し)アカデミックに記述し、産業−鉱業・古武井溶鉱炉・硫黄鉱山については価値ある産業遺産であり、関係資料−報文等できるだけ収録し活用できるようにした。
編集を終え、改めて感じたことは恵山町・東渡島一帯の持つ歴史と自然の素晴らしさ、そして、この地の秘められた可能性である。平成16(2004)年12月1日、恵山町は函館市と合併したが、この町史を通し旧町民の郷土愛がさらに深まることを願ってやまない。 恵山町史発刊は、自然編・先史編の執筆者の玉稿。道立文書館・市立函館図書館をはじめ関係諸機関の取材に対してのご指導・資料の提供。聞き取りに快く応じて下さった町内外の皆さん・貴重な写真等を提供して下さった方々。丁寧な校正、技術的な面等で尽力頂いた印刷業者の方々……多くの人々のご指導とご支援があったればこそ、と思っております。紙面を借り厚く御礼申し上げます。とりわけ、荒木惠吾氏(郷土史研究家、南茅部町・鹿部町・砂原町史編集長)、高木崇世芝氏(郷土史研究家、古地図研究家・森町史執筆)には、編纂にあたっての基本的な考え方から資料の収集・執筆に至るまで親切ご丁寧なご指導を頂きました。衷心より感謝と敬意を表します。なお、巻末に関係各位のご芳名を掲載し感謝の気持ちに代えさせて頂きます。 (恵山町史編集長 近堂俊行)
町史編纂委員・職員
編集委員 平成7年8月1日付(町史発刊まで)
梶村 公平(平成12年6月20日まで)
松浦三千秋(平成12年8月2日付教育委員に就任のため辞任)
斎藤 哲弥
大瀧 良孝
平成12年8月1日付(欠員補充)
小田 吉雄
西堀 滋樹(平成16年3月31日まで)
編集長 近堂 俊行
編纂室長 中野 文治(平成7年7月1日~平成10年3月31日)
石田 徹也(平成10年4月1日~平成11年4月30日)
野呂 昌幸(平成11年5月1日~平成11年10月24日)
*平成12年4月1日~16年11月30日町史編纂事務は教育委員会の所管となる。
嘱託職員 斉藤久美子(平成7年7月7日~平成9年9月30日)
高谷 政美(平成9年10月1日~平成11年3月31日)
*平成16年12月1日、函館市と合併により恵山町史編纂事務は、函館市恵山支所地域振興課所轄となる。