椴法華村史
椴法華村民憲章(昭和五一年八月三〇日制定)
わたくしたちは、世界の海をつなぐ太平洋と雄大なる鐘状火山恵山、千古の清流矢尻川の自然にはぐくまれる椴法華村民です。
開基百年を迎え、輝かしい歴史を築きあげた先人の偉業をうけつぎ、互に敬愛し、進取協調の精神のもとに、未来への発展を願って、この憲章を定めます。
一、豊かな情操を持ち、礼儀を重んずる村民。
一、心身共に健康で、勤労を愛する村民。
一、知性を持ち、科学的に生産を高める村民。
一、責任感と協調性に富み、生活改善を実践する村民。
一、郷土を愛し、広い視野を持ち、文化的教養を高める村民。
[図]
村の木(とどまつ)
村の花(つつじ)
恵山岬上空より椴法華市街地(北海道アート社提供)
津軽一統志 寛文10年(1670)の地図 弘前図書館蔵
「日本津湊図」宝暦5年(1755) 内閣文庫蔵 このころの津軽海峡航路の様子が知られる
「箱館附在々六ヶ場所道途絵図」 嘉永6年(1853) 五十嵐義度著 椴法華村と近村の状況
チャウシの図 安政2年(1855)ころ 弘前図書館蔵
「東蝦夷地海岸図台帳」 安政2年(1855) 長沢盛至著 古部、屛風岩、銚子のようす
「東蝦夷地海岸図台帳」 安政2年(1855) 長沢盛至著 矢尻浜、島泊、椴法華のようす
「東蝦夷地海岸図台帳」 安政2年(1855) 長沢盛至著 水無、恵山崎のようす
「延叙歴検真図」 安政6年(1859) 目賀田守蔭 前田夏蔭 椴法華村の図
「延叙歴検真図」 安政6年(1859) 恵山日蔭浜岬付近の図
東西蝦夷山川地理取調図 松浦武四郎著
椴法華より古部村までの海岸立岩岬 北海道漁業図絵 明治12年
根田内村山道より恵山硫鉱場を望む 北海道漁業図絵 明治12年 函館図書館蔵
北海道亀田外三郡之図 明治23年(1890) 椴法華村は明治14年7月29日より亀田郡となる
陸奥丸遭難の記事 明治41年3月24日 (小樽新聞)
陸奥丸遭難の想像図 (小樽新聞)
大正初期の島泊
大正10年ころの昆布採取
大正末期の恵山岬灯台
昭和7年 椴法華青年団陸上競技大会
昭和8年 恵山より水無方面を望む
昭和8年 恵山のスキー
昭和18年 出漁風景
椴法華出身兵士の慰問袋に入れられた写真
昭和22年ころの富浦
昭和23~24年ころの交通状況 (これで函館まで)
昭和25年10月 上水道工事
昭和26年ころの富浦
昭和28年 中学校・銚子方面を望む
昭和39年7月20日 椴法華避難港完成竣工
昭和41年10月10日 椴法華村-南茅部町間道路開通式
昭和40年 椴法華小学校航空写真
昭和49年6月 港湾整備事業
[図]
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大謀網漁(いわし)
薄暮の椴法華港
御神輿
のばら保育園園児玉入れ
中央三叉路より銚子方面を望む
銚子地区より海向山を望む
椴法華村遠望
銚子の澗
銚子岬より恵山を望む
霊峰恵山
エゾイソツツジ
こけもも
サラサドウダン
つつじ
海水浴
露天風呂
恵山荘全景
役場庁舎
村議会開催のようす
尻岸内町椴法華村境界確認町村名称調印式 (昭和60年1月30日)
調印式で当時の真部渡島支庁長=中央=をはさんで握手する湊尻岸内(現・恵山)町長=右=と鎌田椴法華村長