むかし、牛馬は陸上運送の手段であった。牛は農耕に欠かせない大きな役割を果たし、馬は主として駄馬運送、または乗用としての役割を果たした。
六箇場所の海岸の村々のうち、砂原からヤムクシナイにおよぶ平地の村では、漁獲高・戸口の増加にともなって、早くから牛馬による運送が多かった。
しかし、下海岸から郷土の沿岸(陰在)は、道路の実情がわるく船積による海上輸送に頼らざるをえなかったので、牛馬の使用は少なかった。
嘉永七年の六箇場所書上と、翌安政二年の東蝦夷地海岸図台帳、そして明治四年二郡二九ヶ村一面表を対照すると、六箇場所における牛馬は、需要の増加の傾向をしめしている。
安政年間に、幕府の再上知による鉱山の開発によって、道路の開鑿がすすめられたので、馬による輸送が急激に増大した。
安政~明治の牛馬数
嘉永七年六ケ場所書上 安政二年東蝦夷地海岸 明治四年一面表
図台帳
小安 馬一五頭 牛 七頭 記載なし 八一頭
釜谷 一八 牛 五 〃 五六
汐首 三一 〃 九〇
瀬田来 二三 〃 一九
戸井 一七 〃 一四六
鎌哥 一二 〃 〇
尻岸内日浦 三 〃 一三
尻岸内 一五 〃 一〇五
古武井 一八 〃 一〇五 駒二八 駄七七
根田内 五〇 牛 五 〃 二五二 五四 一九八
椴法花 牛 五 二三
嶋泊 記載なし 三 内 駒 一 〇
尾札部 〃 九 一 五六
川汲 〃 一六 二 五〇
板木 七 一〇 (二) 〇
臼尻 二五 一八 二 一七八
熊泊 二〇 五 一 〇
イソヤ 一二 一 〇
鹿部 一三 二二 二 一〇〇
砂原 二七 九〇 内鞍置馬五二 二七六
掛澗 二〇 三二 一一七
尾白内 七二 七〇 二 二〇〇
森 四二 四二 六 一八〇
鷲ノ木 五七 五七 七 一六三
棒美
蛯谷古丹
本茅部
石倉
落部 茂無部 七 二一
落部 三七 三七 六 二八四
野田追 三五 二五 三 三四
ヤムクシナイ 八二 内鞍置馬四〇
由追六九