〔郷土の森林〕

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 南茅部の森林資源は、古くから豊富であった。
松前国中記(市立函館図書館所蔵)に、
 
  新井田孫三郎殿知行所 ヲサツベ  小名ミツナシ(より)マツヤ(迄)
   産物 昆布 鯡 鰤 鮫 布苔 かば 榀縄 鱈 (略)
    又 木直し
      おさつべ 此三ヶ所の沢五葉松 榀 桂 其外雑木沢山有
      カツ汲
 
 松前国中記は、記述された年代が不詳(または天保年間)といわれるが、知行主新井田孫三郎は、寛政蝦夷国後の一件に派遣された松前藩士である。そして、産物の後記を詳略したが、鱈の次に、「近年新鱈船といふて、臼尻の澗に入(いり) 鱈辛塩切江戸江登(のぼる)尤(もっとも) 四五百石積弐艘位積 是御改御判共此所ゟ(ここより)直(すぐ)走願也(はせねがうなり)」と記している。
 ヲサツベ場所の新鱈(塩鱈)は、天明の末から寛政の初めに、江戸へ積み送られるようになったという。これを近年とすること、知行主の年代をもって、この松前国中記は寛政の頃の記述とみる。この頃、特記して「木直・尾札部川汲 此三ケ所 五葉松・榀・桂そのほか雑木沢山有り」と記している。
 函館および道南地方一帯は、藩政時代から禁伐令や留山(とめやま)の制度があり、山林の保護は厳しかった。
 「開拓使事業報告」第一編に、享和元年(一八〇一)、幕府の蝦夷地直轄のとき「箱館管地西知内ヨリ東海岸連山ハ、従前松前氏ノ制度普及セサルヨリ材木薪炭年々濫伐ノ為メ、海岸村落ヨリ一里許概ネ赭山ニ等シ。猶ホ等閑ニ付セハ地方繁栄ニ従ヒ樹木漸ク減シ、竟ニ供給続クナキニ至ラン」と記している。