後援者は、村長入江節雄、部長中村音次郎・松永量助・渡辺鉄五郎・前野玉蔵と刻まれ、石工藤田清一郎とある。台座の四方に各部落の寄付者の名がぎっしりと刻まれている。揮毫は「安正書」とある。陸軍大将男爵福島安正の書である。
除幕式は大正八年八月一一日に挙行され、益満陸軍大佐が臨席した。
尾札部村忠魂碑 大正7年
渡島管内忠魂碑調
市町村名 | 建立年月日 | 揮毫者 | 建立地 | 遷座 (移設) の沿革 |
建立者 | ||||
松 前 | ||||
大 島 | 昭和八・一一・三 | 陸軍大将 鈴木 荘六 | 江良八幡神社境内 | |
(江良) | 帝国在郷軍人会江良町分会 | |||
小 島 | 明治四四・一一・三 | 不 詳小島村分会 | 小島八幡神社境内 | 大正一五年七月一日発起人の刻あり |
福 山 | ||||
(松前) | ||||
「招魂社」 | 明治二・ | 不 詳 | ||
大正五・一二・五 | 松前神社正面左隣 | 昭和三六年松前城内松前神社境内に合祀 | ||
「忠霊塔」 | 神留山(神止山) | |||
大沢白神 | 不詳 | 不 詳 | 大沢小学校奉置所隣 | 戦後解体して海浜に埋没 |
昭和 年 学区変更により松前小学校となり学校跡地は職員 住宅と国道改良の代替宅地となる。 | ||||
福 島 吉 岡 | 大正一三・一〇 | 元師陸軍大将子爵 上原 勇作 従四位 | 吉岡小学校校庭 | 戦後吉岡八幡宮境内に移設 |
福 島 | 大正四・一一・ | 陸軍中将勲二等 宇都宮 太郎 功三級 | 福島小学校校庭 | 戦後 昭和二一・九福島大神宮境内に移設 |
御即位大典記念 | ||||
知 内 知 内 | 昭和一〇・一・ | 陸軍大将 鈴木 荘六 | 知内小学校校庭 | 戦後 昭和三七・七雷公神社境内に移設 |
知内村分会 | 「戦没者芳名碑」 | |||
木古内 木古内 | 不詳 | 不 詳 | 鷹鳥グランド | 戦後願応寺境内に移設し、碑面「忠魂碑」 の文字を全面削落し「平和塔」 仏教聯合会と刻す。 |
(現町営プールの辺) | ||||
上 磯 茂 別 | 昭和五・一〇・ | 陸軍大将 一戸 兵衛 | 旧茂辺地 神社境内 | 神社移転跡地に現存 |
茂別村分会 | ||||
上 磯 | 大正五・七・ | 陸軍大将子爵 大迫 尚敏 | 稲荷神社境内 | 戦後上磯公民館隣り小公園に移設 |
上磯村分会 | 「戦没者芳名碑」二基 | |||
従三位 | 戦後昭和四二年 | |||
大 野 大 野 | 明治四四・一一・ | 陸軍中将勲一等男爵 大迫 尚敏 | 観音山の丘陵地 | 意富比神社境内に移設(6・20除幕) |
功三級 | 「戦没者芳名碑」二基 | |||
碑の裏面に協力者氏名彫刻 | ||||
七 飯 七 飯 | 大正八・八・一五 | 海軍大将伯爵 樽山 資紀 | 三島神社境内 | 彰徳社 |
日露 | 忠魂碑建設発企人木村広凱ほか二五名 帝国在郷軍人会七飯村分会の「碑」 | |||
従三位 | ||||
大 沼 | 不詳 | 陸軍中将勲一等男爵 大迫 尚敏 | 大沼国定公園内 | 戦後「忠魂」の二字を削落「碑」の文 字のみ残る |
功三級 | ||||
明治三十九年六月 戦捷記念銅象建設委員一同 | ||||
正三位 | ||||
函 館 亀 田 | 昭和一三・ | 陸軍大将勲一等 渡辺 錠太郎 | 桔梗近江孫吉所有地 | 戦中旧亀田村役場向い地に移設、さら に昭和22年ごろ神山稲荷神社境内に移設 |
功五級 | (現亀田消防署) | |||
「明治〓(三十)七・八戦役 | 明治四〇・七・一五 | 亀田村分会 | 赤川村三島神社 | |
紀念碑」 | ||||
函 館 | ||||
「招魂社」 | 明治二年八月 | 戦後昭和二二・一 汐見丘神社と改称 昭和二九年 旧名護国神社に復称 | ||
竣工 | ||||
「招魂社」碑 | 不明 | 旧招魂社入口左側 | ||
「護国神社」 | 昭和一四年四月一日改称 昭和一七年社殿竣工 | (現在地) | ||
湯 川 | ||||
「忠魂」 | 明治四四・九・ | 陸軍中将子爵 上原 勇作 | 湯倉神社境内 | (現 在 地) |
昭和四一・八・一 | ||||
(湯川村分会) | 「戦没者御芳名板」附設 | |||
銭亀沢 | 大正四・一一・一〇 | 陸軍大将男爵 福島 安正 | 浄土宗 大願寺 | |
昭和五一・九 | ||||
銭亀沢分会 | 「銭亀沢地区殉国者御芳名碑」附設 | |||
戸 井 戸 井 | 大正六・八・ | 陸軍大将男爵 福島 安正 | 山の中腹 | (現 在 地) |
昭和四五・五宮川神社境内 | ||||
戸井村分会 | 「慰霊碑」を建立 | |||
尻岸内 | 大正 | 渡島支庁長 河毛 三郎 | 旧尻岸内小学校海辺 | 戦時中鉄献納のため鉄柱を、戦後本体解体。 |
「日露戦役 | 明治三九・九・ | 八幡神社 | 戦後昭和二四・六「彰徳碑」建立文字 板のみ八幡神社に保存残る。 | |
紀念碑」 | ・現函館バス所長宅前 | 戦後 町役場裏山 | ||
古武井 | 大正四・一一・ | |||
正四位 | ||||
椴法華 | 大正一一・七・八 | 陸軍中将勲一等 内野 辰次郎 | 八幡町一四七・八 | 「大東亜戦争生還者一同」氏名の碑二基 |
功三級 | ||||
「日露戦役 | 明治三九・八・四 | 八幡神社 | (現 在 地) | |
紀念之碑」 | ||||
南茅部 尾札部 | 大正七・二・ | 陸軍大将男爵 福島 安正 | 尾札部稲荷神社 | (現 在 地) |
尾札部分会・後援会 | ||||
熊 泊 | 大正二・ | (木 碑) | 大正七年 臼尻村忠魂碑に合祀 | |
正五位 | ||||
臼 尻 | 大正五・八・三一 | 陸軍少将勲三等 橋口 | 金兵衛岬グランド | 戦後昭和二一年 大船寺境内 |
功三級 | ||||
「慰霊塔」 | 昭和三六・四・三〇 | 臼尻学校グランド | ||
鹿 部 鹿 部 | 大正九・一一・ | 折戸団地 | 神社前浜通り、のち神社境内 昭和年建立戦没者個人墓碑五七基 | |
砂 原 砂 原 | 大正一一・一一・七 | 南部陣屋跡 | (現 在 地) | |
正四位 | ||||
陸軍中将勲二等 林 太一郎 | 〃 | |||
功二級 | ||||
森 森 | 大正一〇・七・一六 | 陸軍大将子爵 大迫 尚敏 | 青葉ケ丘公園内 | (現 在 地) |
森村分会 | 昭和三六・五「戦没者氏名碑」二基 | |||
八 雲 落 部 | 大正六・ | 陸軍大将男爵 福島 安正 | 落部八幡境内 | 昭和四一・七・一五「戦没者氏名碑」 |
八 雲 | 明治四三・一〇・一七 | 陸軍中将 上原 勇作 | 八雲神社境内 | 戦後昭和二六・碑の題字を改彫して 「英霊碑」とする。 |
八雲分会 | 揮毫 札幌高等裁判所長 飯坂 潤夫 | |||
黒 岩 | 昭和一一・一〇・ | 陸軍中将 三毛 一夫 | 黒石神社境内 | (現 在 地) |
黒岩分団 | ||||
長万部 長万部 | 昭和五・六・ | 第七師団 新井 亀太郎 | 飯生神社 南部陣屋跡 | (現 在 地) |
函 館 | ||||
「己巳役海 | 明治六 一 二 | 伊藤海軍少将 | 船見町元官修墳墓 | |
軍戦死碑」 | (七面山) | |||
「海陸軍戦 | 裏碑文 清水谷 公考 | 護国神社隣接墓地内 | ||
死人名碑」 | ||||
(江差) | ||||
「招魂社」 | 角力取山 |