問題となるのは、幼年者・老年者と乱心(らんしん)者である。藩では、「安永律」第四二条(橋本久「弘前藩の刑法典(一)―安永律―」『大阪経済法科大学法学論集』六号 に番号を付してあるのでこれを使用した)に、放火は十五歳までは親類預けとし、そのうちに大赦などがあれば願い出によって「時宜御沙汰(じぎごさた)」となり、自由裁量の余地を残している。十五歳に達すれば重鞭刑追放となる。これは遠島の刑を執行する島がないからである。「寛政律」の総則的な規定の小項目第八によれば、七十歳以上と十五歳以下の者および廃疾者が死刑に当たる犯罪を犯した場合は、贖刑(あがないけい)(過料(かりょう))でよいとしている。これによって、「公事方御定書」の規定よりゆるやかなこと、幼年者のほかに老年者へも考慮が払われていることが知られる。
「文化律」の総則的な規定の第七には、幼年者・老人などに対する刑として、寛政の御例、御定書、御定書・安永の御例斟酌、とみえ、右に述べた「公事方御定書」「安永律」「寛政律」の規定が記載されている。
乱心者は「寛政律」によれば、廃疾者の類に含まれ、死刑に当たる犯罪を犯しても贖刑となる規定であった。しかし、幕末までの「国日記」にみえる判例からは、藩士でも斬罪などの重い判決の申し渡しもあり、実際は贖刑より重い処罰を受けた場合が多かった。