(三)日常生活

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 藩士の日記に、添田儀左衛門貞俊(そえだぎざえもんさだとし)が延宝九年(一六八一)五月~天和三年(一六八三)三月まで書き記したものが残されている。「日記」とのみ記されているので、ここでは「添田儀左衛門日記」(弘図岩)と仮称する。
 添田は、延宝二年に大組足軽頭(おおくみあしがるがしら)、天和二年には馬廻三番組頭となり、元禄十年(一六九七)ころから家老に就任している(『伝類』『奥富士物語』)。
 彼は天和二年五月二十一日に四代藩主津軽信政に従って江戸から帰国した。藩士がどのように国元で生活していたかについては、彼が弘前城下で暮らすこの日から同年六月晦日まで(紙数の関係で六月晦日までとした)の「添田儀左衛門日記」の大要を次に示すことにする。これによって藩主の日常生活(本節二)とも比較ができよう。その次に「国日記」から全体的に藩士の生活の様子をみることにしたい。

図103.添田儀左衛門日記
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