第八師団の所在地が弘前市に決定すると、弘前市をはじめ周辺の町村からも師団誘致のための運動が盛んに起こった。兵営地を献納する請願や、道路の敷地献納を要望する動きが各地から出され、陸軍当局を意外に思わせるくらいだった。「臥薪嘗胆」をスローガンに、ロシアを仮想敵国として軍事力を増強することに、国民も一定の理解を示していたのである。ロシアに近い弘前市民にとっても同様だったのだろう。郷土師団を迎えることが、当時の地域にとって、経済的効果を生み出すことも忘れてはならない。
写真77 第8師団司令部
師団誘致合戦は、互いに自らの地域の特徴や利点をアピールし、関連当局に陳情するなど、今日に見られる誘致合戦と状況がよく似ていた。例えば南津軽郡の黒石町(現黒石市)も師団誘致に乗りだしているが、陸軍管区の改正が発表されるや、真っ先に師団設置を要望する町長の上申書を陸軍当局に提出している。黒石町は弘前市よりも青森港に近く、周辺地域への便もよいとして、師団設置に好都合だというのである。温泉や飲料水に恵まれた衛生上の好適地であり、付近には原野が多いとも指摘している。
弘前市でも五月以降、第八師団の敷地献納を弘前市長と弘前市会議長の名で正式に陸軍当局へ提出している。請願文を見ると「市民平素ノ希望ヲ達スルノ幸運ニ際会シ」たとして、市民の念願だったことが記されている。そして「弘前ノ地タル国家防備上切要ナルハ申迄モ無之、亦本市ノ生長繁栄ニ非常ノ関係ヲ有スル」との請願理由を吐露している(前掲『青森県史』資料編近現代2)。
中津軽郡も郡長名で六月三十日、師団の敷地献納願いを提出している。「今回ノ軍備拡張ハ時世ノ必要ニ応シ国家ノ安寧威厳ヲ増進スル重大ノ事業ニ有之候」として、「本郡ニ於テ国防上ノ事業ニ対シ聊(いささ)カ微衷ヲ表シ度儀ニ有之候」と、師団の拡張に見られる軍備増強策に対し、地域住民が賛同するのは当然の義務という観点を強調している。この点は弘前市の献納運動とまったく変わりはなかった(前掲『青森県史』資料編近現代2)。
弘前市や中津軽郡の献納願は県当局の助力を経て行われた。師団の敷地献納に関しては弘前市周辺だけでなく、青森県当局としても全面的に協力し、強い支持を与えていたのである。この結果、陸軍当局はこれらの願いを許可している。そしてかねてからの予定どおり、弘前市近郊に師団司令部を設置し、付近に兵営や各軍事施設を建設していった。師団の敷地は連隊の敷地も合わせると膨大なものだった。時代に応じて施設の規模や位置に変化はあるが、だいたい現在の弘前城附近ないし弘前大学附近に諸軍事施設が集中しており、その規模は相当に広大だった。ここに軍都弘前市は成立を見たのである(ただし、師団司令部自体は、このとき中津軽郡清水村(現弘前市)にあった)。