旧藩主と市内小学校の結びつきは極めて強固であった。小学校教員に旧藩士族が多かったためか、各校とも旧藩主を敬愛する念が強かった。旧藩主も弘前へ来るたびに小学校長たちを集めて、教育の様子を尋ね、また、全市小学校児童に菓子を与えるのを常とした。各校校長も旧藩主に対して、皇室に対する以上の忠誠と尊敬をこめて言及している。これは、封建的主従関係の延長にすぎないとしても、一種の人間的な交流になっていた。旧藩主と小学校の結びつきが、明治以来の本市小学校教育に、独自の気風をもたらしたことは否定できない。弘前が古武士的な教育を強調し、他郡市に見られぬ剛風を持続し得たのは、旧藩主に対する士族教員の忠誠心が作用したと思われる。しかし、この結びつきも、最後の藩主だった承昭の逝去によって急速に薄らいでいくのである。
写真180 津軽承昭公葬儀(大正5年)