自衛隊誘致に賛同し、積極的に請願したのは弘前商工会議所である。昭和三十二年(一九五七)の三月二十九日に同会議所は「陸上自衛隊誘致に関する請願」を提出した。だがアメリカ軍撤退事情が判明していなかったこともあり、時期尚早で保留となった。けれども八月二十日、再び雨森良太会頭の名で、弘前市への陸上自衛隊誘致を請願している。かつて市は軍都として発展し、市内の商工業はその余沢で栄えた。敗戦で軍隊は解体され、現在は学都ないし観光都市として命脈を保っているにすぎない。市の経済は周辺農村で生産されるりんごと米に依存しており、不作に見舞われると農村部・市街部ともに困窮に陥る。市街地商工業者が市の納税額の約七割を負担している以上、農業の不作によって財政難に陥る危険性もある。こうした条件を克服するためにも、陸上自衛隊の一部を、まずは弘前市に誘致することが必要だというのである。
商工会議所は、弘前市に陸上自衛隊の統監部と附属連隊が誘致されれば、年間九億円、最小限一個大隊に小司令部を移駐するだけでも年二億円が市内を潤すと計算している。そのため気候に支配される農作物の不作があっても、市の財政を脅かすこともないという。自衛隊の施設演習によって、産業・観光道路のような公共事業も潤沢となり、市の産業振興になるというのである。
請願のなかで注目されるのは、家庭の次男・二男も自衛隊に入隊することで、郷土にとどまり自己の修練と自活の道も拓(ひら)け、醜い家庭の争いも除かれ、次三男問題解決の一端にもなるという主張である。当時の農村での家庭状況を物語るようで興味深い。
そのほかに反対派が唱える治安や風紀の悪化に対しても、賛成派は反駁している。旧陸軍のように農地を荒らしたり、進駐軍のように婦女子を陵辱したりする恐れもない。日本人同士でもあり、お互いに話し合えば風紀問題は解決できるし、農地立ち入りもあり得ないと主張している。戦前・戦中、陸軍大演習で使用された山田野は、演習地として適切であり、道路も改修改良され架橋も増加されて山地開拓に利益が多いと結んでいる。
自衛隊の誘致賛成派は、自衛隊の誘致によって見込まれる経済的効果を最大の主眼点としていた。農業に依存するところが大きく、気候の変動によって常に不安定な状況を余儀なくされる弘前市の経済事情は、自衛隊の誘致で解決できるというのが、賛成派の主張の骨子だった。この主張には日米安全保障条約によって米軍が全面的に撤退し、国家の防衛上からも自衛隊が必要という政治イデオロギーも伴っていたことに注意したい。
おおむね自衛隊誘致の賛同者は、軍都弘前の夢を再現する感覚で、軍隊組織のもたらす地域社会への経済的効果を意図していた。もちろんイデオロギー的な問題や、再軍備による自国の防衛という考え方も重要だが、地域の人々にとって自衛隊誘致の最大の眼目は地域経済への恩恵であるという点に集約されていた。