津川武一(つがわたけいち)(明治四三-昭和六三 一九一〇-一九八八 青森市浪岡)もその同人誌から出た作家の一人である。後年、東北初の共産党代議士として長く衆議院議員を務めた政治家でもある。昭和二十七年「過剰兵」(資料近・現代2No.六六四)を「サンデー毎日」に、翌年「農婦」(同前No.六五二)を「讀賣新聞」に応募。それぞれの入賞で作家としての地歩を固めた。小山内時雄らと〈葛西善蔵忌〉を主催するなど、晩年に至るまで文学活動を続けた。
写真259 津川武一
同じ旧浪岡町出身の作家の平井信作(ひらいしんさく)(大正二-平成元 一九一三-一九八九)もまた地元の同人誌、新聞紙上に作品を掲載し、その力量を世に問うた。今官一主宰の「現代人」に発表した「軍鶏村」が直木賞候補に、また四十二年には「生柿吾三郎の税金闘争」が再び直木賞候補作となったが、次点に泣いた。
平井信作は二度の直木賞候補となったが、芥川賞の候補となったのが斎藤(さいとう)せつ子(昭和五- 一九三〇- 黒石市)である。四十一年の「健やかなる日常」が候補作となり期待されたが、惜しくも逸した。津軽出身、あるいは津軽ゆかりの作家は直木賞に縁が深い。その意味で斎藤せつ子が芥川賞候補になったということは意義深いことである。
文学者のほかに、弘前市が全国に誇ることができる編集者がいる。津軽書房社主の高橋彰一(昭和三-平成一一 一九二八-一九九九 弘前市)である。高木恭造や一戸謙三の方言詩集「津軽の詩」をはじめ、長部日出雄の直木賞受賞作品『津軽世去れ節』(昭和四十八年)や葛西善蔵全集、福士幸次郎著作集、今官一作品など、まことに貴重な作品を出版し、全国にその名を広めた。
また、昭和三十四年(一九五九)に発足した青森県郷土作家研究会の会員が、津軽書房の出版に大きく寄与し、その中から太宰治の実証研究で知られる相馬正一(そうましょういち)(昭和四- 一九二九- 弘前市)などの著名な研究者が輩出した。相馬正一の、例えば『太宰治と井伏鱒二』(昭和四十七年 津軽書房刊)は、それまでの〈太宰研究〉に強い衝撃を与えたばかりではなく、その後の研究を方向づける重要な著作となった。
さらに、児童文学で郷土色豊かな作品を発表している藤田博保(ふじたひろやす)(大正一三- 一九二四- 鶴田町)や鈴木喜代春(すずききよはる)(大正一四- 一九二五-田舎館村)、そして、わが国の翻訳文学をリードした野崎孝(のざきたかし)(大正六-平成七 一九一七-一九九五 弘前市)、地方に活動拠点を置きながら、全国的に高い評価を得た俳人の増田手古奈(ますだてこな)(明治三〇-平成五 一八九七-一九九三 大鰐町)の名を記しておかなければならない(同前No.六五五)。
記憶しておかなければならないもう一人の直木賞候補作家がいる。赤羽堯(あかばねたかし)である。