それにしても、長部日出雄ほど津軽を作品舞台に登場させた作家は、ほかにはいない。確かに太宰治には名作『津軽』があり、石坂洋次郎には『わが日わが夢』『石中先生行状記』をはじめとする一連の〈津軽物〉が少なくはない。佐藤紅緑、秋田雨雀、福士幸次郎、葛西善蔵、今官一も、またしかりである。
しかし、その作品の多さによってではなく、津軽の精神風土の源流まで遡った作家は、長部日出雄ただ一人である。しかも、直木賞受賞作「津軽世去れ節」「津軽じょんから節」を世に問うた昭和四十五年から、その姿勢は一貫している。すなわち、今もなお〈津軽への旅〉が続いているということである。
その意味において、昭和四十五年一月末、一七年ぶりに弘前へ帰郷した意義はまことに大きい。なぜなら、結果的には二年四ヵ月間の帰郷ではあったが、この期間で得た収穫があまりにも多かったからである。直木賞を受賞したことはむろんだが、長部日出雄はここで、つまり〈津軽への旅〉で何物にも代えがたい貴重な体験をすることになる。
それを象徴するのが自ら原作・脚本・監督した映画「夢の祭り」(一九八九年公開)の制作である。この映画は直木賞受賞作の「津軽じょんから節」をもとに、新たに書き下ろした作品だが、津軽三味線や津軽の美しい季節を取り込んだ、まさに津軽そのものといえる映画である(「夢の祭り」については、斎藤三千政「長部日出雄と映画-映画「夢の祭り」を中心として-」『市史ひろさき』七、弘前市、一九九八年を参照)。
これほど津軽の風土、棟方志功や太宰治をはじめとする津軽の文学者を、つまり、小説やエッセイ、そして映画で津軽を世界に発信した作家は、長部日出雄のほかにはいない。その功績は、まことに偉大であり、まさに〈北の文学連峰〉を象徴する作家である、というほかない。
写真263 長部日出雄