津軽の精神風土を追究

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長部日出雄(昭和九- 一九三四- 弘前市)は郷土を見詰めながら、津軽の精神風土を追究した。四十八年(一九七三)「津軽世去れ節」「津軽じょんから節」で直木賞受賞(資料近・現代2No.六七五)。五十四年には『鬼が来た-棟方志功伝』で芸術選奨文部大臣賞を受賞した。さらに、『見知らぬ戦場』で第六回新田次郎文学賞を受賞。それだけではない。平成十四年(二〇〇二)には『桃とキリスト もう一つの太宰治伝』が第二九回大佛(おさらぎ)次郎賞を受賞し、驚くべきことに翌年には同作品で、今度は第一五回和辻哲郎文化賞を受賞する快挙を成し遂げている。これらの受賞作品の舞台は、すべて津軽である。だから、長部日出雄津軽の文学の集大成者と言える。
 それにしても、長部日出雄ほど津軽を作品舞台に登場させた作家は、ほかにはいない。確かに太宰治には名作『津軽』があり、石坂洋次郎には『わが日わが夢』『石中先生行状記』をはじめとする一連の〈津軽物〉が少なくはない。佐藤紅緑秋田雨雀福士幸次郎葛西善蔵今官一も、またしかりである。
 しかし、その作品の多さによってではなく、津軽の精神風土の源流まで遡った作家は、長部日出雄ただ一人である。しかも、直木賞受賞作「津軽世去れ節」「津軽じょんから節」を世に問うた昭和四十五年から、その姿勢は一貫している。すなわち、今もなお〈津軽への旅〉が続いているということである。
 その意味において、昭和四十五年一月末、一七年ぶりに弘前へ帰郷した意義はまことに大きい。なぜなら、結果的には二年四ヵ月間の帰郷ではあったが、この期間で得た収穫があまりにも多かったからである。直木賞を受賞したことはむろんだが、長部日出雄はここで、つまり〈津軽への旅〉で何物にも代えがたい貴重な体験をすることになる。
 それを象徴するのが自ら原作・脚本・監督した映画「夢の祭り」(一九八九年公開)の制作である。この映画直木賞受賞作の「津軽じょんから節」をもとに、新たに書き下ろした作品だが、津軽三味線や津軽の美しい季節を取り込んだ、まさに津軽そのものといえる映画である(「夢の祭り」については、斎藤三千政「長部日出雄映画映画「夢の祭り」を中心として-」『市史ひろさき』七、弘前市、一九九八年を参照)。
 これほど津軽の風土棟方志功太宰治をはじめとする津軽の文学者を、つまり、小説やエッセイ、そして映画で津軽を世界に発信した作家は、長部日出雄のほかにはいない。その功績は、まことに偉大であり、まさに〈北の文学連峰〉を象徴する作家である、というほかない。

写真263 長部日出雄