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御手船の商場

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 異国へつながりのあるアイヌが居住する、生産力豊かな奥地の商場は、藩主の御手船の商場で、西蝦夷地はイシカリ、テシオ、ソウヤ、東蝦夷地はクスリ、アッケシ、キリタップ、ノッシャムなど、場所の開設年次については、テシオ場所は慶長年中、ソウヤ場所は貞享年中、アッケシ場所は寛永年中、キリタップ場所は元禄年中とある(蝦夷地一件 休明光記附録)。
 イシカリ場所の開設の時期については、記載する記録が見出されていないが、テシオ場所より早い年次ではないかと考えられる。『石狩町誌』には、〝寛永十二年(一六三五)に全道踏査によって作図された北海道絵図の写を、正保元年(一六四四)に松前藩は幕府に提出したが、それには「いしかり」の地名が記入されているから、すでに寛永年間には相当の場所として発展していたであろう〟と記されている。だが、この絵図には「ゑぞおほく有」の記入はあるが、イシカリ川流域の地名の記載はなく、「そうや」についても「ゑぞ有」「小船乃間在遠あさ」「はま通遠あさ」とある程度で、商場の所在を示す記載はない。ただ、イシカリアイヌは早くから津軽まで出向いており、したがって松前へも出入のあったことは考えられる。その後和人地蝦夷地を区別し、アイヌ和人地に来ることを禁じてからは、松前藩の御手船が「いしかり」へ来て交易するようになった。