その四年後、文久二年(一八六二)箱館奉行所において編纂した『蝦夷地御開拓諸取扱向手続荒増(あらまし)申上候書付』(『蝦夷地御開拓諸御書付諸伺書類』ともいう。以下『書付』と略記)はイシカリ改革の経緯を次のように述べている。
一 西蝦夷地石狩の儀は、私領中より引続松前河原町家持伝次郎え受負申付、運上金千両、別段上納金弐百七拾壱両、都合千弐百七拾壱両、壱ケ年の御収納高に有之候処、右伝次郎儀、追々身上向不手迴相成、場所世話方も不行届、土人撫育筋等懈怠致し、剰私曲の儀不少趣相聞候に付、
安政四巳年中、織部正淡路守迴浦序、実地見分致候の処、難捨置品も有之、殊に同所の儀は東西通路も有之、蝦夷地第一の地勢にて、抑厚き見込も有之、旁衆評の上改革仕、同五午年中、右伝次郎は受負取放、運上金差免、漁業稼方而已申付置、一と場所割渡し、年々漁業出高の凡壱割五分上納為致、惣て御直捌の積評決仕、其余川々有来漁場幷新規取開の場所は、兼々漁業筋内願罷在候ものの内にて、身元人物共相撰、前書伝次郎同様出稼申付候積取極、其段、同年四月中申上置、夫々手配仕。
漁場取締改等の儀は、其筋事馴候ものの内、人物相撰、雇足軽申渡、万端取扱方為致候処、追々出稼人相増、都合弐拾人余に相成、夫々漁場割渡し、場所詰支配向の者厚世話仕候処、改革初年午年の儀は格外出荷物有之、凡弐千五百両余の御収納高に有之、前書伝次郎受負中の高に見合候得は、一倍余の御益に相成候に付、右弐千五百両を目当高に仕、漁業出精為仕候。且同所の儀は、前文申上候通、兼々深見込も御座候場所に付、御直捌に仕、都て私領中の悪弊一洗いたし、漁業のみに無之、開拓筋厚世話仕、在住の者幷農夫等引移、畑地取開、市店をも為取建、諸商売等為営候に付、永住人数も相増候儀有之。
尤右様諸事改革、新規御直場所に仕法取建候に付ては、当分の所、無余儀御入費の廉も有之候に付、右御収納の内、直に開拓入用の方え繰迴し、取賄置、追々御収納を以、繰戻し候積に有之、且漁事の儀は年々不同にて見留も附兼、永久御損益の程は聢と難差定候得共、猶此後追々漁場取開、出荷物相増、御収納高相進候様仕度、精々手配罷在候の儀に御座候。
(市立函館図書館所蔵杉浦誠旧蔵本による。かな字はひらかなに統一し改行等を編者がほどこした。本章の史料引用は以下同じ。)
安政四巳年中、織部正淡路守迴浦序、実地見分致候の処、難捨置品も有之、殊に同所の儀は東西通路も有之、蝦夷地第一の地勢にて、抑厚き見込も有之、旁衆評の上改革仕、同五午年中、右伝次郎は受負取放、運上金差免、漁業稼方而已申付置、一と場所割渡し、年々漁業出高の凡壱割五分上納為致、惣て御直捌の積評決仕、其余川々有来漁場幷新規取開の場所は、兼々漁業筋内願罷在候ものの内にて、身元人物共相撰、前書伝次郎同様出稼申付候積取極、其段、同年四月中申上置、夫々手配仕。
漁場取締改等の儀は、其筋事馴候ものの内、人物相撰、雇足軽申渡、万端取扱方為致候処、追々出稼人相増、都合弐拾人余に相成、夫々漁場割渡し、場所詰支配向の者厚世話仕候処、改革初年午年の儀は格外出荷物有之、凡弐千五百両余の御収納高に有之、前書伝次郎受負中の高に見合候得は、一倍余の御益に相成候に付、右弐千五百両を目当高に仕、漁業出精為仕候。且同所の儀は、前文申上候通、兼々深見込も御座候場所に付、御直捌に仕、都て私領中の悪弊一洗いたし、漁業のみに無之、開拓筋厚世話仕、在住の者幷農夫等引移、畑地取開、市店をも為取建、諸商売等為営候に付、永住人数も相増候儀有之。
尤右様諸事改革、新規御直場所に仕法取建候に付ては、当分の所、無余儀御入費の廉も有之候に付、右御収納の内、直に開拓入用の方え繰迴し、取賄置、追々御収納を以、繰戻し候積に有之、且漁事の儀は年々不同にて見留も附兼、永久御損益の程は聢と難差定候得共、猶此後追々漁場取開、出荷物相増、御収納高相進候様仕度、精々手配罷在候の儀に御座候。
(市立函館図書館所蔵杉浦誠旧蔵本による。かな字はひらかなに統一し改行等を編者がほどこした。本章の史料引用は以下同じ。)
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写真-1 蝦夷地御開拓諸取扱向手続荒増申上候書付(杉浦誠旧蔵本) |