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安政五年

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 イシカリ場所を長年請負ってきた阿部屋(村山)伝治(次、二)郎は、身上向、場所世話方、アイヌの「撫育」などに欠陥があり私曲も少なくないとして、安政五年(一八五八)四月十三日請負人を罷免された。これにともない箱館奉行はイシカリ役所にその土地と住人を直接掌握支配させることにして、直捌制を導入した。これをイシカリ改革という。
 その四年後、文久二年(一八六二)箱館奉行所において編纂した『蝦夷地御開拓諸取扱向手続荒増(あらまし)申上候書付』(『蝦夷地御開拓諸御書付諸伺書類』ともいう。以下『書付』と略記)はイシカリ改革の経緯を次のように述べている。
一 西蝦夷地石狩の儀は、私領中より引続松前河原町家持伝次郎え受負申付、運上金千両、別段上納金弐百七拾壱両、都合千弐百七拾壱両、壱ケ年の御収納高に有之候処、右伝次郎儀、追々身上向不手迴相成、場所世話方も不行届、土人撫育筋等懈怠致し、剰私曲の儀不少趣相聞候に付、
 安政四巳年中、織部正淡路守迴浦序、実地見分致候の処、難捨置品も有之、殊に同所の儀は東西通路も有之、蝦夷地第一の地勢にて、抑厚き見込も有之、旁衆評の上改革仕、同五午年中、右伝次郎は受負取放、運上金差免、漁業稼方而已申付置、一と場所割渡し、年々漁業出高の凡壱割五分上納為致、惣て御直捌の積評決仕、其余川々有来漁場幷新規取開の場所は、兼々漁業筋内願罷在候ものの内にて、身元人物共相撰、前書伝次郎同様出稼申付候積取極、其段、同年四月中申上置、夫々手配仕。
 漁場取締改等の儀は、其筋事馴候ものの内、人物相撰、足軽申渡、万端取扱方為致候処、追々出稼人相増、都合弐拾人余に相成、夫々漁場割渡し、場所詰支配向の者厚世話仕候処、改革初年午年の儀は格外出荷物有之、凡弐千五百両余の御収納高に有之、前書伝次郎受負中の高に見合候得は、一倍余の御益に相成候に付、右弐千五百両を目当高に仕、漁業出精為仕候。且同所の儀は、前文申上候通、兼々深見込も御座候場所に付、御直捌に仕、都て私領中の悪弊一洗いたし、漁業のみに無之、開拓筋厚世話仕、在住の者幷農夫等引移、畑地取開、市店をも為取建、諸商売等為営候に付、永住人数も相増候儀有之。
 尤右様諸事改革、新規御直場所に仕法取建候に付ては、当分の所、無余儀御入費の廉も有之候に付、右御収納の内、直に開拓入用の方え繰迴し、取賄置、追々御収納を以、繰戻し候積に有之、且漁事の儀は年々不同にて見留も附兼、永久御損益の程は聢と難差定候得共、猶此後追々漁場取開、出荷物相増、御収納高相進候様仕度、精々手配罷在候の儀に御座候。
 (市立函館図書館所蔵杉浦誠旧蔵本による。かな字はひらかなに統一し改行等を編者がほどこした。本章の史料引用は以下同じ。)


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写真-1 蝦夷地御開拓諸取扱向手続荒増申上候書付(杉浦誠旧蔵本)