引場の割渡しを受けた者はイシカリ漁場条目に押印して、この納入を義務づけられた。役鮭八カ条(市史一二五頁)は、並の大きさの鮭を塩引きにして納めるよう定めたが、出稼人の負担が大きすぎるとし「大魚、ヒン魚不相除、大小入交りの儘にて上納」(市史六二頁)したいと願い出た。また、引場により品質差があり、サッポロ川の鮭一〇〇本とハッサム川の一二〇本が同価にみなされ、サッポロ川のものはイシカリの中等品扱いされたのである。
ではどのくらいの役鮭(御手料場分を含む)が改役所に収受されたのだろう。年ごとの豊凶に左右されるのは勿論だが、平年三〇〇〇石を見込んだ。安政六年を例にすると、表7のように網持出稼人分五八一一束、御手料場分(アイヌ漁)三三二四束、計九一三五束余(三〇四五石)が役鮭である。その後、漁獲高の増加に見合う役量の上昇を示さないから、税率軽減策がとられるようなことがあったかも知れない。すなわち、元治元年(一八六四)三一五二石、翌慶応元年三二八九石と、改革時に予定した三〇〇〇石内外に一定しているのが注目される。
表-7 安政6年 鮭の漁獲高・役高 |
漁獲・役 網主 |
漁獲高 | 役高 | ||
量 (束) | 比 (%) | 量 (束) | 比 (%) | |
阿部屋 | 9,819 | 36.9 | 2,351 | 25.7 |
アイヌ | 3,324 | 12.5 | (3,324) | (36.4) |
合計 | 26,595 (8,865石) |
100 |
9,135 (3,045石) |
100 |
出稼人荷物高 17,459束14尾(5,820石) イシカリ役所荷物高 9,135束16尾(3,045石) 束以下は切りすてたので、合計は一致しない。 村山家資料『石狩秋味鮭惣引高幷歩訳共調子扣』による |