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明治三、四年成立の村

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 以上が幕末に形成された諸村であるが、明治に入り札幌本府の建設にともない、本府の周辺に新たな村落の形成がはかられた。開拓使では三、四年に官募移民を集中的に入植させ、三年の庚午移民により庚午一、二、三ノ村がつくられた。三村は四年五月に、苗穂・丘珠・円山村と改称になる。
 四年の辛未移民は同じく五月に設立された平岸(もと麻畑)、月寒(もと千歳道)、対雁の各村に入植し、市外の地域では花畔・生振村(現石狩町)に入った。さらに開拓使貫属となった片倉家旧臣は四年十一月に白石村、五年二月に手稲村に入植し、それぞれ村落を形成するようになった。村落の配置と移民の入植は、札幌本府を基点に銭函、千歳、篠路、石狩へ向かう官道上の沿線が選ばれている(以上の諸村成立の詳細は一章四節参照)。

図-1 明治5年の札幌本府と周辺村(奥羽盛衰見聞誌より)

 次に年次を追い、六年以降に成立した下手稲・雁来・上白石・山鼻・豊平・山口村の成立につき概略していくことにする。