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道会・衆議院議員

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 札幌の人たちの多年の宿願であり、ことあるごとに帝国議会と政府に開設を働きかけてきた北海道議会は、明治三十四年三月北海道会法、北海道地方費法の公布により実現の運びとなった。もっとも二法によって北海道が府県同様の法人格を持ち得たのではない。地方費を審議するための制約の強い機関であったとはいえ、区制にあわせて地方自治へ一歩前進したといえよう。
 北海道会議員は当初三五人であったが、大正二年四二人、九年五二人と増員になり、十一年の法改正でやっと府県並の人口比定数となり、十三年八月の選挙から五五人に改めた。札幌区(定員一人のち二人)と札幌支庁管轄町村(定員二人のち三人)はそれぞれ単独の選挙区であるが、選挙権、被選挙権とも土地所有と納税額によって厳しい制限がつけられた。区制期に七回の総選挙が行われ、札幌区及び札幌支庁管轄町村から選出された北海道会議員は表10のとおりである。
表-10 札幌区,札幌支庁管轄町村選出北海道会議員
選挙年月日札幌区札幌支庁管轄町村
氏名備考氏名備考
1明34年8月10日谷七太郎35.4.14行政裁判所裁決により失職.大河原文蔵
村田不二三
35. 6.  2 中西六三郎谷の失職により次点森源三繰上げ当選となったが,辞退につき補欠選挙.37.3衆議辞任.
237. 8. 10 藤井民次郎村田不二三
中居米吉
340. 8. 10 村田不二三佐藤松太郎
宮城昌章42.4.17辞任.
42. 5. 17 田中清輔宮城の補欠選挙.
443. 8. 10 村田不二三土居勝郎
竹内静勝
5大 2. 8. 10 阿由葉宗三郎金井文之助
村田不二三岡田伊太郎
長屋平太郎
65. 8. 10 一柳仲次郎6.4衆議辞任.岡田伊太郎9.5衆議辞任,補選なし.
阿由葉宗三郎
安藤俊明
村田不二三
6. 8. 24 長屋平太郎一柳の補欠選挙.
79. 8. 10 村田不二三上田万平
斉藤亨鹿野恵造
安藤俊明

 帝国議会へ札幌の代表を送り出すことも憲法発布以来の強い願いであった。衆議院議員選挙法では北海道を適用除外地とし、議員を選ぶことを認めていなかったので、この法を改正する運動が続けられた。明治三十三年三月法改正により、札幌区は函館・小樽の二区、旧札幌県(十勝を除く)、旧函館県、旧根室県とともに選挙区として認められ、各一人の衆議院議員を選挙することが可能となったが、施行時期は留保されたのである。
 翌三十四年、三区にまず実施が決まり、第七回総選挙(明35・8・10)で初めて札幌区を選挙区とする衆議選挙が行われた。旧三県については第九回(明37・3・1)からである。選挙権は道会議員同様に厳しい制限が付けられていたが、憲法のもとにおける参政権が認められた意義は大きい。大正八年法改正により小選挙区制となり、北海道は区と支庁管轄町村(複数支庁合同もあり)の一二選挙区から各一人の衆議を選ぶこととし、第一四回(大9・5・10)から適用された。区制期に八回(第七~一四回)の総選挙があったが、札幌区及び旧札幌県(札幌支庁管轄町村)から選出された衆議院議員は表11のとおりである。
表-11 札幌区,旧札幌県(札幌支庁管轄町村)選出衆議院議員
選挙年月日札幌区旧札幌県
(札幌支庁管轄町村)
備考
7明35年8月10日森源三 
8 36. 3.  1 対馬嘉三郎
9 37. 3.  1 浅羽靖中西六三郎
10 41. 5. 15 浅羽靖東武
11 45. 5. 15 浅羽靖東武浅羽は大3.10.22死亡
 大 3.11. 13 松田学浅羽死亡による補欠選挙
12  4. 3. 25 中西六三郎五十嵐佐市
13  6. 4. 20 中西六三郎東武
14  6. 5. 10 一柳仲次郎岡田伊太郎

 貴族院の多額納税議員の互選が北海道で実施されることになったのは、大正七年四月のことで、同年六月十日初の選挙がなされた。この時札幌区で選挙権を有したのは、斎藤甚之助一人のみで、全道では函館区七、小樽区六、釧路町一人にすぎない。これによる貴族院議員は函館区の相馬哲平が選出され、九年六月彼の辞任による補欠選挙では、小樽区犬上慶五郎が選出され、いずれも札幌区から代表を出すことはなかった。