表-2 各村小作状況 |
総戸数 | 自作 | 小作 | 自作兼小作 | 小作割合 | |
札幌村 | 564戸 | 295戸 | 232戸 | 37戸 | 41.1% |
篠路村 | 369 | 44 | 273 | 52 | 74.0 |
琴似村 | 863 | 444 | 248 | 171 | 28.8 |
手稲村 | 496 | 178 | 195 | 123 | 39.3 |
藻岩村 | 393 | 114 | 216 | 63 | 55.0 |
豊平町 | 1,332 | 417 | 391 | 524 | 29.3 |
白石村 | 739 | 281 | 407 | 51 | 55.1 |
『大正十年札幌支庁管内統計書』より作成。 |
〔拓北農場〕もと明治十五年創設の興産社農場、三十八年谷仙吉、四十一年本間国蔵、四十四年谷七太郎、四十五年岩崎久弥の所有に移る。面積一〇一〇町、小作一〇一戸。
〔佐藤農場〕もと明治十九年山田顕義に貸付の山口開墾、二十四年佐藤金治に譲渡。一六六町、二五戸。
〔前田農場茨戸支場〕もと明治二十一年創設の堀農場(堀基所有)。二十七年藤波言忠・前田清照、さらに前田利嗣に譲渡。三二七町、七戸(明治三十二年は三二戸)。
この他にも札幌村大字丘珠村にまたがる以下の農場があった。
〔丘珠共有農場〕もと明治二十三年永山盛繁への貸付地。二十七年中野四郎、板谷宮吉、高橋喜蔵が共有する丘珠共有農場となる。通称中野開墾、明治三十八年に本間国蔵、大正七年太田清蔵に譲渡され太田農場となる(管理人田中清輔)。四一〇町、四六戸(明治三十四年頃は七三戸)。昭和十二年解放。
〔富樫農場〕明治二十二年に富樫伝右衛門が創設。八一町、二八戸。昭和九、十一年に解放。当時の小作戸数四七戸。
また、明治二十二年に付与を受けた篠路村学田(昭和四年一四一町、三一戸)もあり、「十町歩以上三十町歩内外ノ土地所有者凡ソ三十名計アリ。而シテ全ク当村ニ居住セズ札幌区等ニ居住スル者其三分居リ、以上ハ大抵自作若クハ小作人ヲシテ耕作セシメタリ」といわれているように(札幌郡調)、小地主なども多かったのである。
このような結果、農家には小作料の負担が重圧となってかかっており、生活は苦しく、農場の転売をめぐる拓北農場の争議(大9)、小作料の値上げをめぐる学田争議(昭4)などの小作争議も発生していた。