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市会の人格化

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 第二期市会議員は、当選まもなく昭和の世を迎え、連年の冷害凶作、慢性的経済不況下にあって、市政の方向を模索し続けた。昭和六年(一九三一)満州事変が勃発するが、これをはさんで、任期満了にともなう三、四両期の市会議員選挙が実施された。
 昭和五年十月三日に行われた第三期選には六〇人が立候補し、三六議席を争ったが、うち四〇人が新人候補で、一九人が当選をはたした。したがって前期に引き続き議員の半数以上が新人と入れ替わったことになるが、こうした新人の多数出馬が有権者の選挙関心を薄弱にし、棄権率を高めるとの指摘もみられる。最大の争点は水問題で、全国七二市で上水道施設を持たぬ二市のうち、一つが札幌市であり、水利権と財政負担の関わりで設置計画が論議された。
 昭和二年から四年にかけて進んだ政界再編により、憲政会を主体に民政党が誕生し、政友本党新党倶楽部の一派を合わせた政友会と二大政党を形造ったので、これにともなう市会政派の改編が選挙直後になされた。最大勢力である民政党系議員一三人は従来の実業青年会を維持し、政友会系の主流七人も公友会を継承したが、中立無所属を称していた公友会系議員は新たに更新会を組織して六人が入会、中正倶楽部は入退激しく再編して中正会(四人)となった。ほかに同好会(三人)が生まれ、純無所属となったのは三人である。
 今期選に労農党一、社民党一、愛国青年党一の左右両派が候補者を立てたが、いずれも当選圏に程遠く、無産政党は前期労農党票を受け継げなかった。しかし次の選挙に向けて両派とも内部事情を抱えながら運動を続けた。
 この選挙に先立ち、昭和四年市制改正が行われたので、第三期市会の運営はこれに沿ってなされたわけである。すなわち、市会議員や参事会員は市会の議決事件につき発案権を持つことになり、市会は広く関係行政庁に意見を提出し得ることとなった。また市が道庁の許可を受けなければならない事項が減り、国が市に事務を委任する場合は法律か勅令によらなければならないという制約ができたので、市や市会の自治権は拡大したわけである。しかし、市会の権限を市長または道庁長官に委任し得る途を開くなど、執行機関の権限拡充も合わせてはかられたので、一概に地方分権の強化とのみいうことはできない。しかし、太平洋戦争終結時に至る六期の市会構成をみると、この第三期市会に最も自治権の厚みをみることができよう。その後も市制の改正はたびたびなされるが、四年の改正が基底にあって十八年まで継続することになる。
 昭和九年十月三日、第四期市会選を迎え、政党の在り方が大きな争点となり、時の政権による選挙運動への干渉、政党公約の信用性、金銭をもって票を制する一部候補者の慣行、さらに政党政派の利害と利権の絡んだ市会運営等々の問題が、政界浄化、政党解消、ファッショ謳歌、選挙廓清へとつながり、札幌市会を〝人格化すべし〟との呼びかけへと発展した。
 今期の立候補者は五九人で、前回より一人少なく、新人が大幅に減り、当選者中の新人の割合も減少傾向をみせた。新勢力は実業青年会一四、公友会七、中正クラブ更新会が各四、同好会三、市民会と無産派各一、そして中立を称する者六人であるから、表面上は前期と大差はないようにみえる。しかし『北海タイムス』は政友会系議員が一七で三人増加し、民政党系は一八で変わらず、よって今期選は都市に弱いといわれてきた政友会の躍進と評価している。また自治体への政党介入を不可とする意見は市民に受け入れられず、「多年培はれた政民二大政党の底力と貫禄とを如実に示して居り、政党政治に取って代るべき何物」(昭9・10・9)も見つけることができないと報じている。
 今期選でも明倫会大日本生産党社会大衆党の左右両派が候補を立てたが当選しなかった。しかし、無産派を名乗った正木清が上位当選を果たし、普選初回の実績が消滅していなかったことを示している。それでは札幌市会を〝人格化すべし〟という呼びかけは、この選挙によって実現したのだろうか。その判断資料として次の総括記事を紹介するが、当否は市会運営の実態を検証しなければならないであろう。
 われらの市会を人格化すべし。正しき市民の判断により、市会浄化の叫びがどの程度に行はれるかは、十一州の首都教育都市としての一大試練、非常市会の選挙の結果はもちろん遺憾の点も多々あるが、精神的にこの目的の一部が達せられたる観あり。即ち従来の選挙意識よりすれば全然問題視されなかった純情公義の候補者が人格票を享受して堂々と進出し、異様にも優勢を伝へられた特に市政参与の資格薄き新顔候補者の二、三が落選したることであり、更に一部に政治的地盤工作が崩壊したることは、有権者の新しき動向を示すものであり、しかして当局の選挙廓清の警鐘と輿論の叫びが加はり、選挙特有の勝敗の興味を超えて、道徳的判断に一歩前進したることは、今回の選挙の一収穫となすべきであらう。
(北タイ 昭9・10・5)

 このあと、国家総動員法公布後に実施された第五、六期市会選については本章第四節で述べる。