(表紙)
1
「天明三年
小諸与良(よら)町
浅間焼覚帳
癸卯ノ五月廿四日 与良与兵衛 」
(本文)
2
天明三癸五月廿四日より
浅間山焼始、
同年七月二日より大焼ト相成ル、六日より八日迄三日之間、天地江
ひゝきわたり、天も落、地も崩カト人心
恐怖シ、只々念仏ヲ唱るのミ、又湯の平之方迄石ふり申候、
其中ニ大石もヲヒタヽシクフリ、
一湯平ノ方迄石落候事、大石おびたゝしき
小諸江見へ申候事、七月七日・八日、
追分宿ニ而は宿
不残家内仕舞、所々江にけ、縁こ/\にけ申候
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3
当町宗兵衛殿合聟、
追分宿孫右衛門殿家内
三拾四、五人宗兵衛殿方江にけ参り候、下河原治部右衛門殿
方へも、
追分宿久左衛門殿家内三拾五、六人迯参り候、
一七月八日ニ
平原・間(馬)瀬口・塩野・三ツ谷、其縁こ/\江、
近付方江参り、しはらく外へ迯いきて折(居カ)申候、上州
万座湯江浅間七月八日焼ぬけ、ゆおう(
硫黄)山へ
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焼付、ゆおう山江焼、とね川江焼くすれ、水かさ
ばみ、川火ニ成流、かん原村元とし而、比(北カ)上州とね川
筋村数六拾三ケ村流申候、人馬おびたゝしく
死人何程数不知、同年八月十六日ニ焼、四ツ時より
当所迄雨はいふることし、諸作ニあたり、な・大こん
を作り置候所ニ、ねかわむけ申候、同八月廿五日ニ焼、当
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4
所迄すなふる、大しも程ふる、併此すなハ作ニハあ
たり不申候、右ニ付万作
不作、田畑三分、場所(に)より
田畑かいむ所も有、浅間焼より穀上り、其六月迄ハ
両ニ両替六〆七百文、米壱石、大麦弐石四斗、小麦壱石三斗、黍弐石、
ひへ四石、大豆壱石九斗、小豆壱石弐斗、七月末より
惣穀上り申候、一両ニ米八斗、大麦壱石五斗、小麦石(ママ)
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黍石弐斗、ひへ三石、大豆石弐斗、小豆九斗、秋取仕
舞申候而
不作ニ付、十月より両ニ米七斗、大麦石、小麦九斗、
黍石、ひへ弐石四斗、大豆石、小豆八斗、十一月より十二月迄両ニ
両替六〆七百文、米六斗、大麦八斗五升、小麦七斗、ひへ弐石、大豆八斗、小豆
七斗、辰ノ正月より両ニ米五斗、大麦七斗、小豆六斗、黍六斗
五升、二月より四月迄一両ニ両替六〆六百文、米四斗五升、同両ニ米三斗五升迄
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5
致申候、大麦六斗、小麦四斗、黍五斗五升、ひへ壱石弐斗、大
豆六斗、小麦豆(小豆カ)四斗五升、四月迄惣穀上り申候、それより(ママ)
一辰ノ年麦作取仕舞申候所、八分作也、それより惣穀
段々下直相成、六月末より米両ニ五斗五升、大麦石弐斗、
小麦八斗、黍石、稗弐石、大豆八斗五升、小豆七斗より下直、
七月より九月迄秋作田畑取候所、八分作也、右ニ付穀
(改頁)
十二月迄、段々惣穀下直相成、両ニ両替六〆六百文、米九斗五升、
小麦壱石五斗、黍石弐斗、大豆
壱石五斗、小豆壱石弐斗、黍(ママ)弐石、ひへ三石弐斗、巳年
作方六分作、田畑共ニ此年穀相場、両ニ米石五升、
其暮ニ至、両ニ米九斗八升直段也、一、午ノ年又
不作也、
卯ノ年同事、午ノ正月より六月迄さむさつよく、四月より
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6
六月迄さむさつよく、雨ふりつゝく、漸々七月ニ相成
天気、又八月より九月まで雨ふりつゝき、右ニ付田畑三分
又ハけ(かカ)いむ也、それ故又穀物引上、午ノ正月より八月迄
米両ニ九斗より八斗、十月ニハ米壱石、十一月より上り両ニ七斗、
十二月ニ至米五斗七升、一、未ノ春ニ至、正月・二月米五斗、
三月より五月迄段々上り、米両ニ四斗五升、五月中より
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両ニ三斗五升致申候、江戸ニ而白米両ニ弐斗、
高崎ニ而
下米両ニ弐斗八升、安中・板花(鼻)同事直段也、右ニ付両
替五〆八百文より六〆ニ而立まはり申候、右ニ付江戸表ニ而
相とう(
騒動)差おこり、五月廿日ひるより廿二日迄、穀屋・綿屋・
油や・替(両脱カ)屋、其外よき見セ分ハ不残打つふし申候、江戸ニ而
百文ニ付白米三合、
小諸ニ而白米六合より五合、餅米百文ニ
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白米五合・四合、大麦壱升八合、小麦壱升三合、小豆壱升、大豆一升
五合、ひへ三升五合、未ノ年ノ五月直段也、綿直段両ニ一〆
六百め、六十め壱把銭三百十六文、布両ニ上物六反、下八反、
白切レ上物壱尺四十五文、下物三十弐文、其外嶋(縞)切レるい一尺
七拾弐文より四拾五文也、とほしあふら壱升六百廿四文、是ハ
卯ノ年より未ノ年迄直段不相替高直ニ御座候、是迄(ママ)
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一浅間焼ニ付癸ノ卯ノ年
不作、右ニ付穀上り
高直ニ相成、世間難義ニ付、上州入山筋始
日影通り
佐久郡同事致、穀買置あるいハ
金もち之(ママ)江掛り、穀そうどうおこし、卯ノ十月
ノ朔日より佐平嶋方村(ママ)善兵衛・利兵衛始と而
打つふし、志賀村半左衛門、同所重三郎、同所
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8
与宗次、此三人打つふし、原新田村常右衛門
打つふし、焼払、
小諸御領へ入、小原助四郎、柏木村
喜太夫・新五郎、此三人ハちう馬おい也、是ニ付
小諸牧野遠近(江)守様番頭・御奉行・御代官・
大目附・御足かる始とて、
与良町きと口江
十月二日ニ御馬乗り、あるいハやり・テツほうニ而
(改頁)
御つめ被成候、其内ニ中町はたり(渡りカ)又兵衛申上候ハ
川西御領より袴こし御城掛り候様ニ申上候ニ付、
右之与良口御引被遊候、其内柏木より下り、
十月四日ニ
小諸与良口はいり申候、然共
小諸ハ何
之事なく通り申候、
小諸通りぬけ、西御領
菱野村・布下村罷出、二、三間(軒)打つふし、根津
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9
御領みはり村酒屋所右衛門打つふし、焼払、矢沢
御領赤坂酒屋市郎右衛門、上田御領真田村
金次郎・横尾村文七打つふし、焼払、それより
罷出下り
伊勢山村へ参り、上田罷出へく
と存出候所ニ、
伊勢山村役人川保(川久保カ)河原へ相つめ
罷出、四、五人打ころし申候、其内ニ上田御
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上様より被聞及、
伊勢山村御つめ被成、御差
とめ被遊候、其上御味三(御吟味カ)被成、人数五拾三人籠
しや被仰付候、同矢沢ニ而三人、同籠しや被
仰付候、それよりもとり物、
小諸様ニ而日影通り
物(者)三人、
小諸中町又兵衛、都合四人籠しや
被仰付候、それより段々御味三被遊候、右ニ付漸々
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相しすまり申候、是ハ浅間焼
不作ニ御座候故也、
一大坂二而大そうとう、并坂井(堺カ)ニ而も同穀そうどう
是ハ午ノ年成、一、京と(京都)未ノ年大火、御天(御殿)迄不
残焼申候、一、辰年ノ江戸大火、并穀そうどう
差おこり、是も浅間焼
不作ニ付、穀上り候故、
右ニ付御代官稲(伊奈)半左衛門様午ノ年米買上
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被遊候、米相場ハ高直ニ御買被遊、誠御たすけ也、
国々御買被遊候、江戸表ニ而ハ下直御払被遊候、
たとへハ
小諸ニ而両ニ四斗五升ニ御買被遊、江戸ニ而
両ニ五斗直段ニ御払被遊候、右之御ねたんニ付、右之
相とう(
騒動)相しすまり申候、それより江戸表しす
まり申候、
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一天明三癸卯七月六日、牧野遠江守様江戸
表出立為(ママ)被遊、浅間焼ニ付御道中御留りゆう(逗留)
被遊、本城(本庄)御とまり、并安中宿御逗留
漸々七月十六日之夜四ツ過ニ御付(着)被遊候、右
ニ付其夜私共御家中御役人様方御祝義
夜入廻り申候而、恐悦ヲ申上相仕舞申候、
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一当御城主様御入部之次第、
一元禄拾五年午ノ年殿様御国入、
一
一牧野周防守様御入部御国入之御城代
加藤六郎兵衛様、其次御家老稲垣市右衛門様、
其次御家老牧野軍之進様、其次御家老(ママ)
二
一牧野内膳守(正)様御代御家老稲垣源太左衛門様、
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三
一牧野内膳正様御死去被遊、其節大太(太田)
甚右衛門様御いはい御もち被遊候、此時より二番
御家老始(ママ)大田甚右衛門様二番御家老、
其次御城代江戸より御出被遊牧野庄左衛門様、
一其次一番御家老牧野軍兵衛様、二番
御家老木役(俣)重郎右衛門様、其次二番御家老
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稲垣市右衛門様、其次二番御家老牧野八郎左衛門様、
四
一牧野遠江守御代、牧野八郎左衛門様一番御家
老也、二番御家老牧野庄兵衛様、当御代
五
一牧野内膳守(正)様一番家老、先達通り
一番御家老牧野八郎左衛門様、二番御家老
牧野庄兵衛様、
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一にこり川らんかん橋掛次第之事、
一天明五年巳ノ二月、八満(幡カ)宿七兵衛(七郎兵衛カ)願上、
御上様より被仰付、巳ノ二月より六月廿日ニ漸々
入下た(ママ)引渡シ、同両日掛申候、右ニ付御上様御出被遊、
一二丸様君、若殿様方御先ニ御出被遊候、
一御城代牧野八郎左衛門様、二番御家老
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牧野庄兵衛様、御用人本間彦作様、
佐々木重左衛門様、木役(俣)重郎右衛門様、右御三人、
御奉行山本馬次右衛門(九馬右衛門カ)様、天野良介様、成瀬
渡人様、御吟味山之内利右衛門様、御代官三人、
吉田三郎兵衛様、横田茂右衛門様、すゝ木四郎右衛門様、
右之御役人不残御
見分被遊候、橋出来
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14
申候年七月四日、不残出(来)上り申候事、
一、牧野内膳正様、江戸より始而御入部被遊候、