○師範学校開業式 本県師範学校にては
一昨十二日開業の盛典を挙行せられ、大野
県令(注1)にも臨式にて祝辞を述べられ、教員生
徒諸氏の演述(えんじゅつ)祝詞等もありて、当日の景況(けいきょう)
はいといみしかりし由、こゝに其式の手続
及び令公(注2)以下の祝文演説を掲ぐること左
の如し。
明治十六年一月十二日師範学校開業式
手続
第一 午前十時職員教員一同校(ママ)堂ニ入リ
着坐
第二 大野県令着坐 一同敬礼
第三 唱歌 松の小陰 見渡セハ 春の弥
生
第四 校長能勢栄(のせさかえ)演述
第五 教諭衣笠弘祝文朗読
第六 高等一級生総代永井総吉祝文朗読
第七 高等二級生総代花岡国太郎演述
第八 高等八級生総代春日ノイ精美(注3)祝文
朗読
第九 中等五級生総代西要作演述
第十 大野県令祝辞ヲ述
第十一 唱歌 我日の本 若紫 君か代
右畢(おわり)テ一同退散
祝辞
水源清カラザレハ流派随テ濁ル。諸子ノ入
リテ斯(し)校ノ教養ヲ受クルハ即チ水源ナリ。
出テヽ育英ノ責任ヲ帯フルハ即チ流派ナ
リ。然ラハ則チ斯校教養ノ良不良、諸子修業
ノ勉不勉ハ、蓋(けだし)シ邦家泰否(たいひ)ノ分派由リテ生
スル所ナリ。勉メヨヤ。諸子勉メテ其水源ヲ
清クシ、徳性ヲ涵養(かんよう)シ、術業ヲ練磨(れんま)シ、他日小
学ニ従事スルニ当リテヤ其分派ヲシテ益
々渭水(いすい)(注4)ノ観アラシメンコトヲ。茲ニ本年ノ開
校ニ臨ミ一言以テ諸子ニ望ム。
明治十六年一月十二日
長野県令従五位 大野 誠
祝文
明治十六年一月丙辰(ひのえたつ)。大野県令。親臨。挙
開業式。位定奏唱歌。畢(おわりて)校長。能勢教諭。
演優勝劣敗(ゆうしょうれっぱい)之説。弘(注5)。以時膺(あたる)(注6)教員首位摂主。
以祝。之(これ)曰(いわく)。欲興至治文明之化。不得不屈
古典。而取衷(こころ)於当時。欲破千歳(せんざい)固結(こけつ)之頑習
。不可不衝動耳目。而激発其心志。余。徴之
古今万国。莫(なかれ)不咸(みな)然。蓋(けだし)不如此。則不能奮
起庸衆(ようしゅう)。感発頑夫。而警束(けいそく)(注7)軽噪浮薄(けいそうふはく)之徒。
也(また)然其弊。往々至新奇之競。而旧貫(ママ)不由。
智識之尚(とうとぶ)。而徳義不則。私説横行。風俗奔
狂(ほんきょう)。而其害有不可勝言者。我国。維新以降。
奎運(けいうん)(注8)日盛。文化日開。弦歌之音。?々(とうとう)(注9)之声。
溢千郷里。済々之士(注10)。?々(とうとう)(注11)之言。満於朝廷。
開化日新之徳。無所不光被。未嘗(いまだかつて)聞一弊之
生於其間。也(また)而明治。叡聖(えいせい)文武皇帝。明
察遠慮。乃(すなはち)勅(みことのり)文部。改定教育令。頒行於諸
県。将以救此弊於未萌。其憂国。其憂民。可
謂厚且至。矣(い)(注12)我県。深奉 聖意将改定管
下教則。而難於其人。乃聞今校長。之嘗(かつて)。講
師道於米堅。聘而督此校。波士子曰。凡(およそ)事
善於初。既成其半。矣夫(それ)本校者管下教育。之
所由(しょゆう) (注13)而生。各校教師。之所由而出。也苟(いやしくも)教育
不得其法。則徳化何由而与(ママ)。教師不得其良。
則教育何由而行。故使(しめ)得其人。而長。者盛教
育美風化。則所以(ゆえん)輔 聖化之大本(おおもと)。也然則
公之所為。豈(あに)可不謂。所謂。善於初。既成其半
。者(これ)哉嗚呼(ああ)。今之在此校。者(これ)則他日所-以在小
学。也今之為生徒。者則他日所-以為教師。也
今之所学。者則他日所以為教授。也乃我公。
則既已(い)成其半。矣而後之続公。而終其事。者
其責。果在誰。邪願自(おのずから)今日以往。尽其所有。以
求所以対 聖意者。尽其所得。而念所以続
我公。庶幾(こいねがわくは)得。以免(まぬかれる)其責。
長野県師範学校三等教諭衣笠 弘
(『信濃毎日新聞』明治十六年一月十四日)
注
(1)明治四年(一八七一)廃藩置県後の県知事を改称した、県の長官。十九年ふたたび知事と改称する。
(2)県令大野誠のこと。
(3)精巧で美麗なこと。
(4)中国の甘粛省・陝西省を流れ、潼関で黄河に合流する川。流域には周・秦・漢・唐の旧都がある。
(5)三等教諭衣笠弘のこと。
(6)任にあたる。
(7)戒めしばること。
(8)文運。
(9)悪賢い。
(10)多くの賢才。
(11)善言。直言。
(12)感歎の助辞。
(13)事の原因する所。