4.中等程度の林業教育の現状

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我国の林業の進歩と新規画の増加に伴ひ、直接之が管理経営の要衝に当るベき当業者及技術者の林業に関する教育なくして旧態を改めざる者多く、仮令(たとい)之等を指導監督する当局技術者其人を得、法令機宜(きぎ:時にかなっていること)に適するも、其精神の徹底するなく徒(いたづ)らに空文に終り、林業改善は遅々として他の事業と併進する能はず。多くの場合に於て其後に瞠若(どうじゃく:あきれて見つめる)たるの状態は、職を森林教育に採るものゝ常に痛苦
 
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に堪へざる所なり。由来実業教育の発達に二様あり。一は最初に於て上級技術者の養成を主とし、漸次必要を認めて下級技術者の養成をなすに至りたるものと、一は正反対に下級技術者の養成より漸次高級に及びしものと是なり。我国森林教育の如き全然(ぜんぜん:まったく)前者に属するものにして、近時稍(やや)中級及下級の森林技術者養成に留意するに至りたりと雖も、尚多く遺憾なき能はざるなり。殊に林業に於ては中級以下の技術者に大に智識と経験を要するのみならず、最大多数を要するに於ておや。今茲(ここ)に我国に於ける森林教育沿革より、現時の情勢を略叙(りゃくじょ:簡単に順序だててのべる)せん。
森林教育沿革  明治3年野はざま(:「石」偏に間と書く)氏独都伯林(ベルリン)に留学せられ、親しく先進林学諸大家に就き、或は森林の学府に研鑚の労を積み、滞欧4年帰朝して森林の整理開発と同時に、諸般の林業改良機関の設備に奔労(ほんろう)せられ、歩は一歩より向上して終に明治15年8月東京西ヶ原に東京山林学校の開始を見る。氏は親しく講座に臨みて林学を講ぜられ、我国林学の鼻祖(びそ:物事のはじめ、元祖、始祖)にして、次で同校舎は駒場に転じ農林学校となり、再変して農科大学林学科となり、更に林学実科を併置せらる。而して森林教育施設益々急を要するものありて東北帝国大学林学科の前身たる札幌農学校に林学科あり。更に盛岡・鹿児島両高等農林学校を産み、一面(:一方)中等程度以下の教育機関の必要を認め、明治32年実業学校令の公布と共に甲乙種程度の山林学校(注4-1)鬱然(うつぜん:物事が盛んなさま)として起り、其数甲種程度の者20校、乙種程度に属するも
 
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の又同じく20有余校を算するに至る。爾来(じらい:その時以来)甲種農学校に於ても林学を講ずるあり、更に林区署に在勤せる森林主事に甲種及乙種両様の講習行はるゝあり。又各府県に短期の林業講習会ありて終了生歳々1万人を数ふ。試に43年12月末現在、各種程度の学校卒業人員を見るに林学士230余名、高等専門程度の卒業生約500名、更に甲種程度林学専修科卒業生717名、合計1,447名に達す。然れども之を農工商等の学校教育に比すれば及ばざるの甚しき者あれば、益々斯種教育の進興を要するや切なり。次に現下最も緊要を感じつゝある中等程度の森林教育の一般を略叙せん。
甲種程度学校数  全国甲種程度の農業学校70有余の内、農林なる名称を冠せるは20校にして、内林学を農学科の裡(うち:なか、内部)に講ずる者、換言すれば農林両科の学級を独立せしめざる者5校あり。又修業年限3年若しくは4ヶ年の内、単に最後の1ヶ年のみ1学級を組織して林学志望者に林学を講ずる者8校、2ヶ年間林学科を独立せしむる者亦2校あり。而して修業年限の凡てを通じて農林両科を独立せしむる者、即入学当初より農学と林学と全然(ぜんぜん:まったく)学級を異にせるもの奈良、愛知、大分、阿蘇の四校。而して農学科を併置せずして林学科のみを以て独立せる者は僅かに1校あるのみ(注4-2)。
教員及生徒  更に林学科担任教員数は20校を通じて40有余名、1校平均2名強なり。勢ひ生
 
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徒数の如きは農学・園芸或は畜産の諸科等に比して大なる軒輊(けんち:優劣)あり。即(すなわち)1学級僅かに十数名に過ぎざる者多し。従て卒業生の総数717名中、1校100名以上を算する者奈良・大分の2校(注4-3)にして、200名以上を出せる者木曾校のみ。以上の現況より直ちに各学校入学志願者の数が如何なる状情にあるやを窺知(きち:うかがい知る)し得べく、即ち志願者が募集の定員に満たざるもの多く、教職者の奔労察するに余りあり。従ひて農林両科を併置せる学校に於て経費を各科に配賞するに際し、林学科は何れの場合に於ても最も窮迫の境地に呻吟(しんぎん:くるしんでうなること)し、最も必要なる実習に至りては学校の多くが農村に設置せられ、林業実習地殊に演習林は土地の関係上概ね遠隔せる十数里の地に設置せらるゝ一事は最も痛苦を感ずる所とす。此故に有為(ゆうい:才能のあること)の教育者が不断の琢磨(たくま:学問や人格をみがき修めること)の態度を以て、禍(わざわい)を転じて福となし、辱(はずかしめ)に換ふるに栄を以てせんとするも、多くは行路半膓、四面楚歌の窮地にあり
然して我国農地は全面積に比し2割弱なるに反し林地面積は6割強を占め、而(し)かも農業の発達は近時殆んど其極(きわみ)に達し、既に建国以来国民挙て保護奨励に苦慮せし跡は各種の方面に現われ、例へば神道祭典に於ける大甞(おおなめ)、新甞(にいなめ)、相甞(あいなめ)は農を貴び穀の改良を促し、大忌新年月次の如きは災害起らず、時令(じれい:時節)順ならしめんことを警告するの一方便なりき。其他斯種(ししゅ:このしゅ)の方法は種々なる形式により講ぜられたる枚挙に遑(いとま:ひま)あらず。此故に農耕の業は一割にして急転の勢を以て増収を計る能(あた)はざる
 
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ものにして、農理応用の困難にして発達の遅々たる争ふ能はざるなり。然るに林業は古より治山治に関し留意せん事跡は幾分存在するも、農に比し雲壌(うんじょう:天地)の違あるのみならず、天下万人の唱ふるが如く維新以来林地の荒廃其極に達し、林地の生産を適法に利用せられずして、空しく遺棄せられつゝあるの現況は、一挙手一投足の労を以て急速なる進展を現わすことは決して我田引にあらざるなり。茲に森林直接間接の効用或は木材の需要に関し、或は林業の収利に関し、果又(はたまた)我国土と林業との関係に就き農業との比較は擱筆(かくひつ:筆をおく、書くことを終わりにする)すべし。
幸に御料林及国有林野に就きては逐次改善進歩の徴すべきあり。且(かつ:なおまた)公有林整理は最近数年来識者の間に堤唱せられ、之が緒に就くに至れり。然れども試に思へ、我国森林行政事務に干与(かんよ:関係する)せる官吏の数は約5千名、之を叙上(じょじょう:上に述べたこと)各種程度の学校卒業生総数1,447名に比すれば僅かに3割弱に過ぎず。彼の澳国(オーストリア)に於ける各種森林に対する森林保護吏の80%が同国中等程度以下の森林学卒業生なるに想到(そうとう:おもいいたる)し、而して我国有及御料林地の事業弥々(いよいよ:ますます)収約的なるに従ひ、又公有林地の整理完了して施業経営の緒に就くに至れば、蓋し(けだし:おもうに)之が保護経営に当るベき甚大の技術者を要するに至るベし。更に近き将来に於て民有林の保護監督、或は干渉をなす暁に於ては技術者の需要計るべからざる者あり。且林業に関する技術は農業の如く世人一般多くの経験を有せざるのみならず、農学に比
 
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し数倍の精神的労を要するを以て、之が事業の経営は教育のに依らざるべからず。説き去り論じ来れば、森林教育の前途も亦遼遠(りょうえん:はるかに遠い)なりと謂はざるべからず。