各会所には、掛役人のほかに用達を置いたが、箱館会所の用達元〆として福島屋杉浦嘉七が充てられた。大坂は加島屋作次郎を用達とし、会所付仲買として松前問屋13軒を任じ、そのうち伊丹屋四郎兵衛、近江屋熊蔵を用達代とした。兵庫では北風荘右衛門、堺では和泉屋伊助、石割作左衛門が用達に、大和屋徳次が用聞になっている。敦賀は西岡林助(飴屋)、山本朝之助(網屋)が用達になっている。
これらの産物会所では、蝦夷地からの船舶、貨物を検査し、商人に入札で貨物を売買し、その代金を会所に納めて、荷主に渡すことが主な仕事であったが、その他蝦夷地の馬鈴薯などの新産物をも販売し、また、京都、大坂その他の商人で蝦夷地の産物仕入のため、あらかじめ出金し、会所に託するものがある時は、その金を箱館に回送し、場所請負人や問屋ならびに一般漁民に貸付して、産物で返済させるという方法も併せて行った。