椴法華近辺の道

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 弘化二年から四年(一八四五-四七)に亘る記事をまとめた松浦武四郎の『蝦夷日記』によって尾札部尻岸内間の道路状況(関係部分のみ要約)について記すことにする。なお地名を四角線で囲んであるのは解り易くするためのものであり、また里程については同書中にある「蝦夷行程記」の記述を使用している。
  尾札部
    川汲村より三十丁余。浜つづき平場也。
    此村の会所前少しの船澗なり、五・六百石位の船七、八艘位かかる也、然し暗礁多く、到てあやうき処なりと、然し山皆立木にして西の風にはよろしきよし
   四丁四十間
  カケ
    此処少しの岬なり、廻りて
   三丁廿五間
  クロワシサキ
   二丁四十三間
  ケンニチ
    少しの岩岬にて立木原也、越て
   十丁五十二間
  シマリウシ
    大岩立重り、此上の処に道あり。越て
   六丁二十四間
  バンノサワ
    少しの坂を越て此処に出る道あり。嶮路なるよし、海岸より見るに怪岩重畳たり。
   一丁五十間
  シカタトマリ
    此処少しの船澗にてヒカタ風よろしき船澗也。是より坂をこへて
   三丁三十六間
  ホツキナウシ
    坂を下り夷人二軒有よし。船中より見る
   二十三丁三十四間
   (本文に里岩・キナウシ・黒岩サキの記述なし)
  白ヒ川
    温泉まざりの小川なりと。両岩壁立奇巌重りて山となり雑樹陰森たり
   四丁
  ヲカツ
    山の端道なるよし。甚難所なりと
   三丁二十間
  ソイクチ
    同じく一歩を過なば海岸に落ちるとかや聞けり
   一丁
  立岩
    奇石怪岩立並びたり。少しの沢也。滝の如き急流あり。樹木海面に覆ひて、海上より見るに人住べき所にも見へず。
    二十丁十七間
    (本文に、小瀧・シシハナの記述なし)
  古部
    尾札部より海上一里、陸道二里、甚難所也。海上より此処を見るに山の間纔(わずか)の地に人家六、七軒住居して、中々人の住べき処とは思はれず、是より都て一歩として先へは行がたきと聞り、御用状等皆処より盪(オシ)送り、風なき日は此村より遣すよし聞り。岩岬を廻りて。
   十丁四十七間
  大瀧
    少し滝有。
   二丁二十間
  バンノ澤
    越てしばし行て(船で越える。陸路はなし)
   二丁五十間
  屛風岩
    屛立数十丈、岩面屛風を立てる如し
   六丁五十間
  ウノトリ岩
    此あたり西南の岬にして波浪烈しく辛じて岬を廻り、此処まで東南に舟を向ふなり。
   十丁四十間
  ヒカタトマリ
     此処まで西南に船を向ふなり。又岩陰に図合船のかかり澗有。又是より北へ舟を向ふ。廻りて。
  アイトマリ
    アイの風に懸るによろし、故に号るなるべし。此処まで岬より岩壁つづきにして皆仰見るごとき高山のみなり是より浜道有。
   一丁十六間
  矢尻濱
    白砂浜にして山根へ三・四丁。上陸して是より歩行にて行也。浜道をしばし行て、此辺より矢根石多く出ると聞く。
   十一丁四十間
  矢尻川
    歩行渡り
   四丁二十間
  スノ川  (現在の八幡川のこと)
    歩行渡りこへて
   三丁四十間
  シユマトマリ  (現在の島)
    人家二十余軒。漁者のみ。小商人壱人有。海岸に枕て家居し皆虎杖(こじょう)(いたどり)をもて垣とす。従尾札部海上四里と聞り。
  三軒屋
    村の端なり。今は六軒程も有也。昔しは三軒有しが地名となる。皆小石浜也。
   十七丁十八間(蝦夷地行程記では「シマトマリ」、「宮の下」間の距離をこう示している)
  宮の下
    転太石浜なり。上に産神社有。(うぶすな神社)
   八丁
  椴法華  (現在の元村)
    シユマトマリより半里、転太石浜にして歩行がたし、人家弐十余軒、小商人壱軒。他は皆漁者のみ。
    是より登山するに、村中に華表(神社の鳥居)有、是より九折を上る事しばし。嶮坂岩角を攀て上るに、此処村の上凡三・四丁も上りて又華表有也。越て九折を上ることしばしにして燋石畳々とし岩山をなし
  
    中宮華表より五丁斗といへり。是より北平山にして南は上宮なり、硫黄のかたまりし岩道の上行こと半丁斗にして
  西院川原  さいの川原
    世に云ごとし。多くの石を積上たり此処より上宮に又道有、細き鳥居を越えて上るなり。
  恵山上宮
    石の小祠あり。此処に上るや西の方汐首岬を越て箱館山、木古内浜まで一望し、東ヱトモ岬、南部尻矢岬、南大畑、下風呂サキ、一々手に取ごとく見へたり。二・三丁下りて。
  追分
    此処に左右に道あり、左り浜へ下れば九折を下る事廿五丁にしてイソヤへ致る。
    右の方にしばし平野を行、此方より右の方凡二十丁もひろがるべし、何の方に明礬を製す。しばし行て。
  温泉川
    越てだら/\下り四、五丁にして、小流あり。越てしばしにして
  絶壁
    此処を九折にして下り、断崖数百丈崩砂崖なり。道の両傍赤〓にしておそろしき処に棧道を掛て此処を通ず。しばし下りて左の方の渓に雑樹繁茂して有。少し道もおだやかになり、下るまま広野に致る。
    等過て野道に出、華表有。下りて村の中程に出る。根田内村なり。海岸線による椴法華・根田内間
  椴法華
    椴法華村を盪出(オシダシ)して(搔送りの船で出発して)二、三丁過て
  シカタトマリ
    少しの岬を廻
  水無濱
    少しの砂浜。水無より此名あるかと思う。少しの岩角を廻りて。
  カヂカソリ
    此浜恵山の東南の岬に当る。岩磯平坦にしてカヂカ多く生ずる故に号る。かと思わる。二、三丁海中に
  海馬岩
    海中に在り、海馬常に此岩に多く有よし。根田内・尾札部の村境とす。越て
  赤兀(ハゲ)岬
    恵山の第一岬なり、波浪荒くして小舟甚危し、岩崖伝ひしばし行て
  磯屋村
    少しの浜有、皆礁石斗也、恵山の山の直下、人家十二、三軒。皆漁者のみなり。是より恵山の峠に九折大難所なれども道有よし聞り。昆布取小屋も有、是より根田内村へは海岸岩角道有よし、惣て雨降つづく時はおり/\岸崩れて怪我人有。前に図合船懸り澗ある也。小流あり。廻りて
  温泉下
    此処少し上に温泉あり。又少し行て
  小瀧
  サブナイ
    岩の出岬なり。此海中に
  七ツ石
    と云もの有。七ツ同じ様なる岩有、よつて号るものか。廻りて村の東端より上陸す。
  根田内村
    土人の言には海上五十丁、山越六十丁と云へり、人家四十軒。小商人、四、五軒。只酒・米・紙・煙草・わらんじを売るのみ也。村内皆燋石、浜は小石また転太石なり。村内に酸川・産神の社、制札有、
    是より砂浜、浜は昆布小屋多し。
  マル石
    丸き石あるよりして此名有也。少しの岬の上を陸道越て下り
  ヤマセトマリ
    昆布小屋有。山せ風よろしき処より号る也。
  古武井
    人家ヤマセトマリより部落つづきにて、此村の支配中五十軒もあるよし也。小商人二軒、漁者のみ也。村内奄寺、産神の社、制札あり、村を出て
  ヲタ濱
    砂浜なり。道よろし。越て、
  ヨリキウタ
    寄り木ウタ也。流れ木の寄り来る砂浜と云也。
  メノコナイ
    此処平磯、昆布取小屋有。此処より少しの坂道有。こへて
  イキシナイ
    小流有。平磯也。越て
  サツカイヲタ
    少しの沢有。昆布小屋有。浜つづきにて
  尻岸内
    古武井より一里と云へり、人家十余軒、村内細流有、小商人一軒、漁者のみなり、上に少し畑有、産神社、制札、会所有り。