蝦夷行程記は安政三年に阿部喜任将翁が誌し、松浦武四郎が校訂した箱館近在の西部(西廻り)と東部(東廻り)の紀行文である。
この期の多くの巡行記の中でも、内容も文体も簡潔で好ましい。言うならば、一文にして一村を知ることができる。
蝦夷行程記
巻之上 西部 西廻り之部
巻之下 東部 東廻り村湊之部
東廻り村湊之部
箱館 大野江 五里 其地理ハ前巻に志るせし如(ごと)く至(いた)って
繁昌の地なり 孤島(ことう)のを(ごと)くなる出崎(でさき)
なり 只憾(うら)むべ記(き)ハ南(みなみ)に山あるなり 升形(ますがた)を出(で)
て 亀田(かめだ) 七重浜(ななえはま)を過(すぎ)て 右之方桔梗野(きけうの)といふ
これより 一本木(いつぽんき)村人家七軒許(ばかり)あり 小漁(しようりよう)の地也(ちなり)
千代田(ちよだ)村人家廿軒余 カチ川を渡(わた)りて カチ
村 畑道(はたみち)なり 此辺(このへん) 東の山乃方に新田(しんでん)あり上山(かみやま)
藤山(ふぢやま) 大川 七重(ななえ)これさる文化(ぶんか)の比(ころ) 秋田 庄内
南部 津軽等より人民を御呼寄あ里て 新
開あ里し地なり 西の山乃方に 文月 ニゴリ
川などいへる村ゝあり 海岸の通りハ 升形より
大森 湯の川川尻ハ砂川にて ぬかり 渡り難し
志のり人家卅軒余 銭瓶(ぜにがめ)沢人家五十軒余 この辺
より 長崎御用の昆布を出す 汐泊人家廿軒余
石崎人家十軒許(ばかり) 此辺沢広し 八木巻(やぎまき)人家十軒
余 小安人家六七軒 汐首人家十軒余 この出崎
を汐首岬(さき)といふ これより山の上を通り 又山を
下りて 瀬田内人家あり 蓬(よもぎ)田人家あり 戸井
人家あり ム井の岬此上通り 釜ウタ人家あり
原木人家あり 立石岬の上を通り 知(しり)岸内
人家あり コンブイ人家あり 根田内人家あり
此所より 羊腸(つづらおり)坂を上(のぼ)りて 湯本(ゆもと)に至り 温泉有
恵山上(えさんうえ)の宮あり 宮ハ石にて鳥居ハ木なり 山に硫黄多し常(つね)
に燃(もゆ)るなり この所より箱館を望めバ よく見えて
風景最(もつとも)よし 又九折坂(つづらおり)を下りて トゝ法華村
に至り 人家五十軒許 シマトマリ人家廿軒許有
箱館 大野江 五里大野 ワシノキ江 八里七丁 人家百軒余 会所あり商人(あきうど)多し妓
女(ぢよろう) 方言カハタビ あり畑作あり 春夏二季
は漁猟多し 本郷村人家卅軒許 一の渡り
村人家六十軒許 峠の下人家四十軒許 この所
旅籠屋(はたごや)あり 此より坂を半道程上り カヤヘ峠
をこえて追分なり 左 本街道 右ハカヤヘ通
なり 小沼岬 この所に大沼小沼といふ二ツ乃
沼あり シユクノヘ 松前より建置(たておか)れたり 茶屋
あり 中食(ちゆうじき)すべし 焼山(やけやま) コノタイを過て また
追分に至る 右ハ ヲシラナイヘ下る 左ハ本道
にて 森村へ出(いで)る 森村人家商人多し妓女(ぢよろう)
あり 字(あざな)ハヤムマといふ 砂原通りを来(きた)るものと爰(ここ)にて
出合(いであふ)なり 鳥(とり)さ記川(かわ)河原廣し
コンブイより掻送(かきおく)り船にて エサンの下を
廻(まハ)りて トゝ法華に行くもよし 然れども風
あるときハ乗りがたし この間(あいだ) 磯屋(いそや)といふ所
(愛積武(エサム)山の図)に温泉(いでゆ)あり 此所より フルベ歩行路(かちぢ)なし掻(かき)
送り船有(あり) フルベ人家あり 尾札部村人
家百軒許 会所あり 河汲村人家卅軒許 此
上廿丁程のぼりて温泉(いでゆ)有 鶴の湯といふ 箱館
よりこゝに来るに湯の川より上湯の川へ出(いで)河汲
峠をこえて湯本へ出る 一日路(いちにちぢ)なり イタキ人
家あり 臼尻人家八十軒許 船懸(ふねかか)り澗あり 会
所旅人小屋(りよじんごや)二軒あり また村の下に弁天嶋と
いへる小島ありて 懸り澗にもよし 此辺忽(すべ)て新(しん)
鱈(たら)の名物(めいぶつ)ゆゑ 冬月(ふゆ)ハ漁猟にて繁昌(はんじよう)す 少し
の峠をこゆれバ クマトマリ人家有 磯尾人家
有 温泉あり ボロ 鉛山あり 川有りて 大沼小
沼より流れ来(きた)るなり 鹿部人家あり デケマ
人家有 砂原人家百軒余 船懸り場なり
五六百石の船を入(い)るべし 妓女(ぢよろう)あり 字シンタラといふ ヲシラ
内(ない)人家あり 此辺畑作よし 畑道をゆきて森
村にて出逢ふ也 此所樹木多し 駒ヶ岳 砂原岳ともいふ
といふ高山此上(このうへ)にあり
鷲の木 山越内江 五里半 人家二百軒許 畑を作り漁猟を
なす 船ハ村の下の懸る 陣羽織と
いへる妓女(ぢよろう)あり 長崎俵物(ひようもつ)方会所あり エヒヤ
コタン人家あり 峯登〓(ヲトスヘ)村人家六七十軒有
諸色の小商人旅籠屋あり 鷲木村より此辺
まで皆昆布をとる 峯登〓(ヲトスベ)川 船渡し 十文
なり 仕度所あり 中食すべし
此川筋を遡(さかのぶ)れバ檜山(ひのきやま)あり また温泉(いでゆ)もあり
凡七八里ものぼりて又桧山の峠をこえて
江差在(ざい)のアンヌル村に出(いづ)るよし 此道を開
かバ大に東西の便利ともなるべし
川を渡りて ノタヲイ人家あり ヌマシリ人
家あり 上に小沼あり 小石原の道なり