岩木山麓緊急遺跡発掘調査開始~現代

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昭和三十三年(一九五八)は、本県の考古学(埋蔵文化財)調査において一つの転換期を迎えた。大規模開発に伴う事前の緊急調査が実施され、以後同様の調査が県内各地で行われるようになったのである。従来多数を占めていた学術調査に代わって、しだいにその数が上回るようになる節目の年でもあった。
 当該年における学術調査は、江坂輝彌が担当者となって行われた名川町平虚空蔵貝塚(四~五月)、八戸市長七谷地貝塚(八月)、同市類家(るいけ)の帽子屋敷(ぼうしやしき)貝塚(八月)、前述の佐藤達夫等による唐貝地・早稲田貝塚清水潤三を担当者とする八戸市根城(ねじょう)と沢里(さわさと)にまたがる鹿島沢(かしまさわ)古墳群(98)(八月)、伊東信雄が担当者の田舎館村垂柳(十~十一月)などの遺跡であり(99)、一方の緊急調査は、名川町が主体で江坂輝彌が担当した平前ノ沢(100)(五月)・平虚空蔵(六月)遺跡、弘前市教育委員会が主体となって行われた岩木山麓の岩木町湯ノ沢(ゆのさわ)(101)(九月)・同町新岡(にいおか)の薬師(やくし)(九~十一月)遺跡(102)などである。これらの遺跡の中で、平虚空蔵・長七谷地貝塚は先述のとおりであり、帽子屋敷貝塚赤御堂貝塚と同様、縄文時代早期に属する。鹿島沢古墳群については、当時古墳の北限が、岩手県の北上川上流域にある西根町谷助平・岩手町浮島などの古墳群とされ(現在は、二戸市堀野古墳群が同県では北限)、青森県における存在は視野の外にあった。この調査によって、直刀(ちょくとう)・鉄鏃(てつぞく)などの鉄製品・耳飾(金環)・ガラス小玉・勾玉等が出土し、を敷き詰めた槨(れきかく)も見いだされ、古墳の北限は本県にまで及んでいることが判明したのである。なお本県における古墳は、その後、昭和六十二年(一九八七)に八戸市根城の丹後平(たんごたい)(獅噛式環頭太刀(しがみしきかんとうたち)の把頭(つかがしら)が出土し有名になった)(103)、昭和六十三年(一九八八)上北郡下田町の阿光坊(あこうぼう)(104)、同年の南津軽郡尾上町原(はら)など(105)で発見調査され、鹿島沢・丹後平や阿光坊は、七世紀後半から八世紀初め、原は八世紀後半ごろ築造されたものと考えられている。また平成三年(一九九一)八戸市八幡の殿見(とのみ)遺跡(明治中学校々庭)から、九世紀代の古墳に類する遺構遺物が発見調査され(106)、さらに平成四年(一九九二)から翌年にかけて、青森市三内丸山(2)遺跡で二基の類似遺構(円形周溝(えんけいしゅうこう)と呼称)が発掘され、出土遺物と周溝内の白頭山(はくとうさん)火山灰堆積の状況から、築造年代が九世紀前半と考えられており(107)、このような時期まで群集墳的なものが築造されていたらしい。
表21 青森県遺跡発掘調査推移表
調査年度学術
調査数
緊急
調査数
調査年度学術
調査数
緊急
調査数
1947(昭和22)2021972(昭和47)12021
1948(昭和23)1011973(昭和48)62733
1949(昭和24)100101974(昭和49)42125
1950(昭和25)7071975(昭和50)62026
1951(昭和26)120121976(昭和51)52025
1952(昭和27)7071977(昭和52)52631
1953(昭和28)120121978(昭和53)43337
1954(昭和29)8081979(昭和54)42832
1955(昭和30)9091980(昭和55)42832
1956(昭和31)4151981(昭和56)33235
1957(昭和32)5161982(昭和57)23941
1958(昭和33)92111983(昭和58)23638
1959(昭和34)0991984(昭和59)43135
1960(昭和35)813211985(昭和60)53035
1961(昭和36)3471986(昭和61)13334
1962(昭和37)8191987(昭和62)43438
1963(昭和38)6061988(昭和63)23739
1964(昭和39)4041989(平成元)84351
1965(昭和40)4041990(平成 2)73744
1966(昭和41)3361991(平成 3)54449
1967(昭和42)3251992(平成 4)66571
1968(昭和43)120121993(平成 5)118798
1969(昭和44)5491994(平成 6)16128144
1970(昭和45)5491995(平成 7)1696112
1971(昭和46)310131996(平成 8)13105118