非常時の服装

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飢饉火事地震などの非常事態の際における服装については、男子が羽織を着する時にはくの種類の一つに野(のばかま)がある。それは裾に黒ビロードの縁をとり、地質は緞子(どんす)(紋織物の一種で、生糸または練糸をいた繻子(しゅす)組織の絹織物)や錦(にしき)(絹織物の一つ)などから縞(しま)木綿にいたるまでの各種があって、武士の旅行いられ、また火事装束としても着けられた。町人でも公役出仕(くやくしゅっし)(藩から課せられた仕事に出ること)の折にはこれを着ける風がある。野の裾の細い仕立のものは踏込(ふんごみ)(略して踏込ともいう)といわれている。また膝以下の部分が細くなり、そこの部分をこはぜ掛けをして留めるものを裁付(たっつけ)(略して裁付とも)と呼ばれるものがある(谷田閲次他『日本服飾史』一九八九年 光生館刊)。

図92.裁付の武士

 非常時の服装としては、具体的にどのようなものであったか記録がなく不明であり、わずかに衣服規制から推定するしかない。「国日記」によれば、凶作による飢饉の年である天保四年には御目見以下の者がを着せずに勤務することが許されていた(「国日記」天保五年九月二十九日条)。おそらく元禄八年(一六九五)・宝暦五年(一七五五)・天明二~四年(一七八二~八四)の大凶作の時も同様の処置がとられていたことであろう。