お山参詣

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岩木山が津軽領内すべての人々にとって、古くから信仰の対象であったことはいうまでもない。毎年八月一日(八朔)に、部落ごとに集で、豊作祈願のため登拝行事が行われる。これを山カケまたはお山参詣といい、津軽最大の祭りであった。これについての法令は農民町人宛てのものであるため、町人の登拝も行われていたことが知られる。右の祈願のほかに、領内の安穏と藩主の延命長寿への願いが込められていた(小館衷三『岩木山信仰史』一九七五年 北方新社刊)。
 第一に登拝行事の期間は毎年八月一日から十五日までであったが、天候不順になればいつでも禁止されていたのである。同時にこの期間、岩木山の南西麓にある嶽(だけ)・湯段(ゆだん)温泉への入湯が禁止されており(「国日記」元禄九年八月五日条・明和七年八月十日条)、地理的位置からいって、この両温泉は岩木山信仰と深い関係があったといってよい。
 第二に服装は、天明八年(一七八八)から翌寛政元年までに記録したという「奥民図彙」(資料近世2No.二四六)に「思々ニ対ノ衣類ヲ着ス、多クハ紅染ノ木綿ナリ」とみえている。それより以前、「国日記」明和七年七月十八日条によれば、近年華美になっているので、そのようなことがないよう規制されている。さらに「国日記」嘉永六年十二月十七日条に、「一、岩木山登山之節、目立候花(華)美之衣類廻并幟(のぼり)・幣束(へいそく)等迄大振ニ無之様、其外惣而異風を相好無之費不致候様」とあり、これは「国日記」明和七年七月十八日条と同様に、華美な衣服を規制する倹約令であった。このようにみてくると、紅染(くれないぞめ)の木綿の衣服は従来どおり許可されていたようである。したがって白装束(しろしょうぞく)の行者姿ではなかったといえよう。

図123.お山参詣