火災の頻発のうちでも特に著しかったのは、享保二十年(一七三五)であった。同年三月十八日の関(せき)村(現西津軽郡深浦町)二七軒焼失、同二十七日木作(きづくり)・上(かみ)木作村(現西津軽郡木造村)九六軒、同二十八日舞戸(まいと)村・田浦(たうら)村(両村ともに現西津軽郡鰺ヶ沢町)九七軒、四月十四日深浦町(現西津軽郡深浦町)四五~六軒の焼失があった(前掲『津軽史事典』)。これらの火災発生の経験を踏まえて、享保二十年八月には、火の用心の徹底を命じられている(「国日記」享保二十年八月十三日条)。
享保二十年以後の火災の状況と火の用心に関する触書については表34に示したので参照されたい。触書類は火災の頻発と大火の発生に対して、火災を未然に防ごうとする法令であった。
表34.享保20年以降の津軽領内における大火 |
国日記 | 内 容 | 備 考 |
元文2年3月17日条 | 火の用心の徹底 | 元文元年3月18日~19日 小泊村89軒焼失。 〃 3月24日 岩崎村59軒焼失。 元文元年は豊作。 |
寛延3年3月3日条 | 火の用心の徹底 | 去年の凶作のため青森物騒で投火度々。 |
寛政8年7月7日条 | 銜(くわえ)煙管の禁止 | 寛政8年3月16日 関村20軒焼失。 寛政7・8両年は凶作。 |
文政6年3月29日条 | 銜煙管の禁止 | 文政6年2月26日 油川村明誓寺・代官役所・在家24軒焼失。 〃 2月28日 滝沢村18軒焼失。 〃 3月2日 田浦村33軒焼失。 ※文政5年の作柄は不明。 |
文政10年3月21日条 | 銜煙管の禁止 | 文政9年は豊作。 |
天保4年4月7日条 | 火の用心の徹底 | 天保4年3月18日 鰺ヶ沢七ッ石町26軒焼失・柳久保村28軒焼失。 天保3年は凶作(半作とも)。 |
天保5年4月16日条 | 火の用心の徹底 | 天保5年2月17日 鰺ヶ沢町185軒焼失。 天保4年は大凶作。 |
天保7年4月12日条 | 火の用心の徹底 | 天保6年は半作又は3分3厘作。 |
天保10年2月8日条 | 火の用心の徹底 | 天保10年2月1日 脇元村30軒焼失。 〃 2月5日 大鰐村50軒焼失。 天保9年は大凶作。 |
嘉永7年4月12日条 | 火の用心の徹底 | 嘉永7年3月2日 広船村11軒,小屋土蔵とも41軒焼失。 嘉永6年は豊作。 |
安政5年4月1日条 | 火の用心の徹底 | 安政5年2月26日 石川村25軒焼失。 〃 3月20日 藻川村11軒焼失。 安政4年は劣作。 |
注) | 『津軽史事典』(6)豊凶・米価,(8)災害の項による。 |