高岡霊社

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高岡霊社(たかおかれいしゃ)(現高照神社、中津軽郡岩木町)は四代藩主信政を祀る。信政は江戸幕府神道吉川惟足(よしかわこれたり)に師事して、その奥義と「高岡霊社」の称号を授けられた。宝永七年(一七一〇)、信政が弘前城で死去すると、遺言により吉川神道の法式にのっとって、北川新次郎が導師となって現在地へ埋葬された(『奥富士物語』)。神主に当たる祭司役を置き、供料田三〇〇石が寄進された。正徳二年(一七一二)、会津の保科正之(ほしなまさゆき)を祀る土津(はにつ)神社(現福島県耶麻郡猪苗代町)を模した準権現造の社殿が造られた。同社は藩士から「高岡様」と崇敬された。現在、高照神社には「御告書付(おつげかきつけ)」が保存されている。
 明治元年(一八六八)の「高岡祭司下役并御宮附小人共迄人別増減書上帳」(高照神社蔵)によれば、祭司役の配下に、祭司下役・掃除頭・宮付小人が置かれ、門前に一二軒と同居一軒、馬二八匹とみえる。明治初年に高照神社と改称して郷社となり、明治九年(一八七六)為信が合祀され、同十三年県社となった。

図231.高照神社