明治期の日本の租税体系においては、地租などの土地関係の租税が重要な地位を占めていたが、新しい経済関係の発展により、土地関係の租税以外の、国税の所得税や営業税、また、県税の戸数割などの租税の重要性が増していった。このような租税体系や、それぞれの租税の変化は、国税レベルで、しかも一国全体の傾向の上で自明なことであっても、個々の農村や都市での課税に限って見ると、それほど明らかではない。農業を主要な産業として維持し続ける農村では、住民の各家庭にかかる戸数割を除けば、土地関係の租税以外の税源は少ない。また、耕地が少なく、宅地が多い都市は、以後の変化も農村とは異なっている。
弘前市の課税事務を担う市役所の体制は、明治二十三年時点で次のようなものであった。
市役所ニ三掛一部ヲ置キ以テ事務ヲ分掌セシメルコト前年ニ異ルナシ、而シテ、吏員ノ数ハ書記八人附属員二十二人ニシテ、庶務掛ニ書記四人附属員四人、戸籍掛ニ書記二人附属員四人、税務掛ニ書記二人附属員十人、収入部ニ附属員四人ヲ配置セリ、蓋シ本市創始以来殆ド二ヶ年ノ星霜ヲ経タルヲ以テ事務漸ク其序ヲ得テ稍整理ヲ告クルノ運ニ至リタリ
(「弘前市第二回事務報告書」弘前市役所蔵(以下同種資料は同じ)『明治二十二~六年度弘前市会決議書綴』所収)
このように、弘前市役所は三つの掛(係)と一つの部からなり、このうちの、税務掛と収入部が課税担当の事務を行った。同年の税務掛の業務について市長による事務報告書がその内容を伝えている。まず、国税については以下のように記している。
本税ノ滞納処分ハ、直税分署ニ属スルヲ以テ、不納金額及人名報告ニ止ルニヨリ、処分ノ手数ヲ要セス
(同前)
また、地方税(県税)については次のように記している。
賦課度数ヲ算スレバ、通常七回臨時六回合セテ十三回平均一月一回強ニ当リ、且期限後ノ納付ニ就テハ、本県ノ布達ニ依リ納入ニ於テ納付書ニ市長ノ裏印ヲ受ケ為替方ヘ納メ、其納付書ヲ市役所ニ差出シ領収書ヲ受クルノ手続ナルニヨリ、直接ニ徴収セサルモ記帳等ノ手数ハ通常ニ異ナラス
(同前)
市税については、明治二十二年度の結果を振り返りつつ次のように述べている。
廿二年度市税ノ滞納金参百五十五円参十六銭ニ対シ、督促令状ヲ発シタル数六百参十九件ナリシカ、処分決行ニ係ルモノ四名ヲ除キ、余ハ財産差押前又ハ差押ヘタルモ売却以前ニ於テ完納セリ(中略)該年度ハ市制執行ノ創業ナルヲ以テ、旧戸長役場ニ於テ賦課シタル仮市費仮町費ノ類ハ市税ヘ差引計算賦課シタルニ依リ、市税ト学区費ト混交セシヲ以テ併セテ滞納処分ヲナシ以テ廿二年度市税歳入ノ清算ヲ了セリ
(同前)
租税全般を対比してのそれぞれの課税の差異についても、次のように記されている。
諸税徴収ニ就テハ、使丁ノ配置ハ前年ニ異ナラス、徴収ノ実況ハ期限内ニ納ムルモノ国税ハ概子〔ネ〕九歩以上地方税ハ六七歩ノ間ニ上下セリ、市税学区費ニ至リテ国税等ニ比シ難シ、之レ督促方ノ寛厳アルニアラサレトモ、従来ノ習慣未タ蝉脱セサルニ因ルナラン、且国税地方税ハ督促令状ヲ受クレハ本税外ニ手数料参銭ヲ払フノ責アルヲ以テ、大体期限内ニ納税スルノ感想ヲ有セリ、故ニ市税ノ如キモ国税等ノ如クナラシメハ自然滞納者モ減少スルニ至ラン
(同前)
収入部の活動については、領収書の発行についての説明がある。また、市役所全体の事務に関して、繁忙期に臨時職員を雇ったことと、その費用が書記給料の残額の範囲内であったことが記されている。弘前市役所は、このように租税賦課事務を担ったが、これは他の市町村でも同じことである。ただし、この職務は課税の全般にわたっていたものではない。すなわち、市は国税のうち酒税(酒造税)、醤油税等の課税は行っていない。
弘前市による租税の賦課事務は、徴税令書の発行や収納、督促にとどまるものではなかった。国税に関しては、土地台帳や名寄帳、また、諸営業の台帳の整理の業務があった。
明治二十六年については、次のように報告されている。
土地売買譲与分合地目変換ノ為、台帳及名寄帳ヲ加除訂正セシモノ八百八十一件ニシテ、一ヶ月平均七十三筆余ニ当リ、之レヲ前年報告セシ異動ノ筆数ニ比スレハ、四百二十件ノ減少ニシテ、要スルニ売買件数ノ少ナキニ依レリ、其他雑税中営業及諸車等異動ノ為、台帳ヲ訂正セシモノ二百八十二件ニシテ、一ケ月平均二十三件余ニ当レリ
(「弘前市第五回事務報告書」『明治二十七~八年度弘前市会決議書綴』所収)
このように、土地台帳と名寄帳の訂正は件数が多く、国税徴収事務の重要な業務であった。また、県税についても同様で、以下のように報告されている。
県税調査委員会準備ノ為メ、吏員中五名ノ担当者ヲ命シ、各営業者ノ売捌取扱等ノ見込金高届書ニ就キ、各店頭ノ業体ト商況ヲ実査シ、議案ノ調整ヲ終ヘ、五月三十日調査委員会ヲ開キ、議事日数十九日ヲ要シ、六月十七日閉会セリ、戸数割賦課必要ニ付建物異動届書ニ就キ吏員ヲ派出セシメ、実地調査ヲナサシメ、其結果ニヨリ建物台帳及戸数台帳、加除訂正セシモノ六百十一件ニシテ、前年ノ個数高ニ対シ、八千五百八十七個ヲ減少セリ
(同前)
ここに記されているように、県税に関しては、営業者の売捌、取扱の金額を調査し、建物の異動なども調査し、建物台帳や戸数台帳を訂正した。こうした弘前市の例に見られるような末端の市町村の活動が、国税を頂点とする租税体系を成立させていたと言える。
弘前市が賦課した租税の内訳を、明治三十年と三十四年に関して見たのが表21である。明治三十二年には地租の増徴が行われ、前年の三十一年には農村部を中心として、青森県内においても、激しい反対運動が起こった。なお、増徴率は、市街地宅地地租が地価の百分の二箇半、その他の地租が地価の千分の八であり、田畑については地価修正が併せて実施された。
表21 弘前市賦課租税高 |
(単位:円、但し7・16・26段目は%) |
明治30年 | 明治34年 | 明治34年/明治30年×100 | |
国税地租 | 2,279.2 | 3,744.0 | 164.3 |
国税所得税 | 1,211.5 | 4,046.6 | 334.0 |
国税営業税雑税 | 1,379.8 | 8,204.4 | 594.6 |
売薬税 | 205.0 | - | |
市賦課国税計 | 4,870.4 | 16,200.0 | 332.6 |
(地租/市賦課国税高)×100 | 46.8 | 23.1 | 49.4 |
県税地租割 | 593.0 | 814.2 | 137.3 |
県税戸数割 | 3,255.9 | 4,147.4 | 127.4 |
県税営業税雑種税 営業税付加税 | 8,830.3 | - | |
県税営業税付加税 | 1,870.7 | - | |
県税営業税 | 2,667.4 | - | |
県税雑種税 | 3,571.5 | - | |
県税所得税付加税 | 173.2 | - | |
県税計 | 12,679.1 | 13,244.4 | 104.5 |
(地租割/県税賦課高計)×100 | 4.7 | 6.1 | 131.4 |
市税所得税付加税 | 462.3 | 912.3 | 197.4 |
市税地価割 | 427.3 | 944.9 | 221.1 |
市税建物坪数割 | 8,204.8 | - | |
市税戸別割 | 8,641.5 | 30,717.5 | 355.5 |
区税戸別割 | 3,812.6 | 9,889.3 | 259.4 |
市税営業税 | 4,206.6 | 4,080.2 | 97.0 |
区税営業税 | 2,452.1 | 3,506.5 | 143.0 |
市税特別税 | 828.6 | - | |
市区税賦課高計 | 20,002.3 | 59,084.1 | 295.4 |
(地価割/市区税計)×100 | 2.1 | 1.6 | 74.9 |
土地関係税計 | 3,299.5 | 5,503.1 | 166.8 |
『弘前市会決議書綴』各年次 |
注)空欄は税目がないもの及び分類が変わったもの。 |
表21から、両年の間に租税額が増大していることが分かる。表21によれば、市が賦課する国税の伸び率は特に著しく、三倍を超えている。個々の税の中でこの間の伸び率が大きいものは、国税の営業税雑税、所得税、市税の戸別割であり、いずれも三倍を超えている。次に伸び率が高い税は、区税の戸別割、市税の地価割であり、二倍を超えている。また、市税の地価割がほぼ二倍である。
土地関係税に関しては、市賦課の国税の伸び率を地租の伸び率が下回っており、この点は市区税についても同じである。県税のみが、合計額の伸び率を地租割の伸び率が上回っている。しかし、土地関係税の個々については、県税の伸び率が一番低い。いずれにしても、市が賦課する国税は国税のすべてではないため、これらの数値から租税全般の動向を論ずるには問題が残る。