観光客受入態勢の必要性

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観光案内所駅前近辺への設置については、市民の間からも要望が高かった。事実、弘前市の表玄関口である駅前に案内所がなかったため、満足な観光ができず、不満を抱えて帰省した観光客も多かった。そのため市議会に駅前市有地使用願を提出する動きもあった。だが『陸奥新報』は、観光案内所などの施設は、観光客集客の大事なサービスであり、私営にすれば維持経営上使用料金が高くなり、営利に重きを置いてサービスが低下すると反対している。市当局や商工会議所観光協会などが協力・支援し、公共的な機関として完備するべきだというのである。
 駅前観光案内所に限らず、観光都市を目指すためには観光客誘致のための宣伝活動や、交通網の整備、観光施設の衛生管理、土産物の充実など、さまざまにある。けれどもより重要なことは、観光客受け入れ態勢を充実させるために、市当局・商工会議所観光協会など、関係当局が緊密に連携し協調して積極的にやっていくことであろう。この点に関しても『陸奥新報』は社説で厳しく批判している。観光都市を目指し、それを維持していく地方都市にとって、非常に意義ある主張である。長文だが引用しておこう。
来て観た人たちの実感からする吹聴や観光談は、なによりも実効のある宣伝、紹介のはたらきをなすのだから、ポスターやパンフレットによっての他地方にたいする宣伝や紹介と併行して、否、それ以上にその受入態勢をととのえることはきわめて肝要のことである。風致に勝れ、さまざまな文化遺産など存するとしても、あこがれて他地方よりわざわざきた人々にたいする接遇方法や案内、紹介などの受入態度がまずかったり、不愉快な心象をあたえるようでは、二度と足をはこぶ人々も寄りつかなくなるだろうし、それらの人々の口々からつたえられることをきいては、まだ見ない人たちも来てみる気持をおこさぬようになり、そうしたところからだんだん来往者も少くなり、ひいては折角の宝ももちぐされといった格好にもなろう。

 観光の鍵は人にあり、もてなしとふれあいにある。『陸奥新報』の社説は、なによりもそれを物語っている。口コミで噂や印象が広がる恐ろしさも無視できない。また、平成期になってからは、インターネットや電子メールなどの電子媒体により、情報の速度と拡散範囲は、昭和三十年代とは格段に異なってきている。観光先での人人の接遇や印象、土産物の良し悪しなどは、電子媒体を通して、あっというまに全国レベルに紹介されてしまう。だが電子媒体が君臨する情報化社会であっても、観光に関する人々の思いは変わっていない。むしろ電子社会だからこそ、人々はかえって人間的な心のふれあいやもてなしを求めているのではないだろうか。かつて観光都市として出発しようとした弘前市の関係当局や市民の思いと熱意は、今後にも活かしていくべきものがあろう。
 弘前市が観光地として名を高めるようになったのは、弘前城をはじめとする文化財のおかげである。みな先人の遺業の賜物であり、また、先達が大切に保存・管理してきた配慮のなせるわざである。これらのもとに市の観光は成り立ち、修学旅行生などの団体客が往来することで、市の産業・経済に恩恵を与えていた。だが肝心の観光客受け入れ態勢が整っていなければ、観光客も来なくなるだろうし、せっかくの文化施設も活かされないだろう。同じことが弘前城にもいえた。は明治末期に先覚者の主唱によって植えられたものである。新たにを植樹して数を増やし、としての公園を造成していかなければ、いつかはは枯渇し、弘前城のイメージが低下してしまう。『陸奥新報』も、今の観桜会は「先覚者の功績をあらわすの美観だけにたよつて、いわば資源略奪的な観桜会をやつている」と厳しく指摘している。
 現在に至るまでの弘前市の観光政策が、弘前城に極度に依存してきたことは事実であろう。もちろん後述するように、多数の祭りイベントが考案され、昭和三十三年には駅前観光案内所ができ、大小さまざまな観光設備が建築、推進されたことも事実である。しかし、弘前城がもつイメージが大きすぎるためか、観光関係当局も市民も、先人の築き上げた観桜会イベントに依存している側面が強い。そこで、観光関係当局が講じたのが土産品の開発だった。