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海防論とイシカリ

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 寛政年間(一七八九~一八〇〇)以降、ロシア、イギリスなど外国船の来航が頻繁となり、寛政十一年(一七九九)蝦夷地が異国接境の地であることから東蝦夷地が直轄となったことは前述した。幕府は、文化五年(一八〇八)のイギリス船フェートン号事件や本土上陸事件に驚きながらも確かな海防策をもたないため、文政八年(一八二五)には外国船は見つけ次第打ち払えといった、異国船打払令を出していた。しかし、不徹底のまま天保十二年(一八四二)に廃止となっていた。
 ところが、異国接境の地松前蝦夷地近海には、弘化元年(一八四四)以降毎年のように外国船が渡来した。弘化三年、ちょうど松浦武四郎がカラフトを探検して、帰途イシカリを通ってユウフツへ抜けた同じ年にも松前近海から津軽海岸にかけて外国船の来航があった。このような、たびかさなる外国船の日本への来航を聞いて、水戸の徳川斉昭は、老中阿部正弘に書を送り、外国船掃攘・軍艦製造および琉球・松前の防備等に関する意見数カ条を述べている。
 その後も外国船はとだえるどころか、一年に何回も来航するありさまであった。嘉永元年(一八四八)五月には、アメリカの捕鯨船から脱走の乗組員が松前地小砂子村に上陸する事件がおきた。さらに六月には、同じくアメリカの捕鯨船の乗組員が遭難者とみせかけてリシリ島で救助されたり、同じ月、今度はカラフトにアメリカの漁民が大挙して上陸する事件がおきている。
 このような、外国船の蝦夷地や日本への渡来について当時の学者たちの反応は、こぞって海防策を上書したり、また文会や詩筳での席題にまで取りあげるありさまだった。武四郎の『海防策』によると、このように学者たちが、蝦夷地や長崎や伊豆七島辺に一度も足を踏み入れることなくして海防策を論じたり、西洋式軍艦を建造して我が国から外国へ渡航する等の評議がなされているのに反発を感じ、自らの『海防策』を建白するにいたったらしい。
 嘉永元年(一八四八)、武四郎は二度目の蝦夷地探検の二年後、「乍恐松前地幷津軽地え異国船渡来の義に付申上候」で始まる建白書を認めている。「執政閣下」に宛てられたこの建白書は、誰に呈上されたのか知るよしもないが、幕府家老の一人でもあったのだろうか。
 次に武四郎の『海防策』から、イシカリについてどう考えていたのかみてみよう。おおよそ次のようである。
 ①外国船ともし戦争になった場合、蝦夷地警備の人員の食糧確保が必要である。文化年間より箱館周辺および蝦夷地内でも耕作が奨励され、イシカリ川筋でも大豆、豆、小豆、じゃがいも、隠元豆、黍、粟、稗等を作り、なすも少しずつできるようになった。蝦夷地一円が開拓ということになれば、雑穀豊饒の地となるので、蝦夷地開拓を決心すれば国家にとってなによりであろう。
 ②オクシリ島と太田岬の間に外国船が渡来した場合、西蝦夷地への交通が妨げられるので内陸交通を開く必要がある。その場合イシカリよりハママシケへの通行は、ツイシカリよりルルモッペ(留萌)への道路を開削するがよいだろう。近年アイヌの他場所との縁組や往来が禁止になっているが、五〇~六〇年前まではアイヌが往来していた。イシカリ川筋の上サッポロ下サッポロカバト、ユウバリ辺のアイヌのなかには、この通路を知っている者もいるので、道路を開削したら蝦夷地開拓に役立つであろう。
 ③学者達の海防策にしたがって軍艦製造というようなことになった場合、イシカリ川筋で造営したら万事便利であろう。造営に必要な材木は付近の山にあるし、大工、鍛冶など造営の職人が集まればイシカリが繁盛し、アイヌの人口も増加するであろう。
 ④イシカリ詰の勤番が小人数なので、人員増加した方がよいだろう。
 ⑤イシカリ場所のアイヌの人口が減少しつづけ、三〇年もしたら絶えてしまう恐れさえある。このため、他場所との縁組をするなど人口維持策をとった方がよいだろう。

 武四郎は、以上のように食糧の確保、内陸交通路の開削、軍艦造営、勤番の増員、アイヌ対応策などに目を向けている。軍艦造営の拠点をイシカリに据えたのは、近藤重蔵イシカリ要害論に影響されたのだろうか。さらに、蝦夷地勤番の重要拠点への配置においても論を進め、部屋住み、次、三男の一八歳から三〇歳くらいまでのうち、二、三年交代で勤番させるといった発案は、安政期に実行に移されるところの「在住」制につながる思想でもあった。
 この後松浦武四郎は、嘉永六年のペリーの浦賀来航を機に、徳川斉昭にそれまで三度にわたる蝦夷地探検の日誌三五冊を加藤木賞三を介して献上するとともに、蝦夷地の海防を含めた海防論を建白するにいたっている(水戸烈公へ初航蝦夷日誌他建白書)。このような武四郎と水戸藩との密接な関わりは、やがて第二次幕府直轄後武四郎が幕府御雇に抜擢される契機をつくったのではなかろうか。

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写真-8 水戸烈公へ初航蝦夷日誌他建白書(松浦家史料 国立史料館蔵)