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道路・用水路・風防林

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 兵村地割りの基準線となったのは道路と風防林で、排水溝や用水路もその役目を果たした。琴似兵村では札幌市街や小樽港と結ぶ幹線道の役割を道道宮の沢北一条線北五条手稲通(旧国道五号線、通称札樽国道)が担っていた。このルートは幕末期すでに内陸路として使われていたが、簡易な刈り分けだけのため馬行は難儀をきわめ、雨のあとのぬかるみが馬腹におよぶほどであった。特に七年の暴風雨で橋などの破損がひどく、琴似兵村開設を機に、九年八月から大改修を施し、土盛り、砂利敷きなどを行い、交通の便を得るようになった。
 これと垂直に接するように敷設したのが北東から南西に通じる一〇間幅の中央道路である。すなわち現在の道道琴似停車場線琴似栄町通(通称琴似本通)のもととなり、後にこれを北へ延長し新琴似兵村と結んだ。本通と十字に交わる中央道路が現在の二十四軒手稲道のもととなり、そのまわりに幅五~六間の区画道路が碁盤目状に通る。こうして兵村内に開削した道路は琴似村七五本、一二万七一一坪、発寒村四九本、九万七八四六坪、手稲村一四本、一万四四七五坪に及び、その多くは兵員や家族が年々共同で開いていったものである。
 琴似兵村の用水路は発寒川より導水して、十四年に開削した。各兵屋の背合わせの境を流れるようにしたが、主水路は六本で面積は九一〇一坪。水量は豊富で清冽なため、米とぎ、野菜洗い等の日常生活に使われ、魚が泳ぎ秋鮭さえものぼったという。風防林として存置されたのは琴似村で長さ一八八九間、幅一七間、面積三万二一一三坪、発寒村で長さ一五四五間、幅一七間、面積二万六二六五坪の各一カ所である。
 山鼻兵村札幌市街を結ぶ幹線道の役割を果たすものとして五年開削の石切山道が区画内にあった。これは鹿道を利用したハツタラベツ道の簡易な改修で、兵村区画と整合せず給与地をななめに通じたりしたので、新規に幹線道と兵村中央道路を兼ねた一線を開いた。それが現在の国道二三〇号石山通(通称西一一丁目通)である。山鼻入村にあたり旧道は通行を停止し廃道とし、新道を本道と定めた。これは九年七月にできるが、さらに南方に延長して石山や真駒内へ連絡させる工事を続け、十二月には馬車道としての形を整え、十年以降も延長と改修を進めた。これと十字に交わる中央道路は東西に通じる現在の米里行啓通(通称南一四条通)である。
 山鼻中央道路の南北及び東西に、これと直交する道路を開いて給与地を区画し、その本数は二七本であった。この内区画の再編により東屯田に開削したのが現在の西九丁目通(東屯田通)、西屯田に開削したのが西一三丁目通(西屯田通)である。このほか山鼻兵村の追給地となった月寒村字厚別に一四本、山鼻村字八垂別に三三本、平岸村字簾舞に一九本の道路をつくった。道幅は三、四間のものが多いが、主要道は七間で、開削道路の総面積は二一万一八一七坪に達した。なお、山鼻兵村には用水路、風防林としての存置個所はない。