しかし、そのような「解放令」ではあっても、「解放令」を盾に抱主に廃業を宣言した娼妓がいたり、東京楼の娼妓等の廃業によって間接的に東京楼を破産に追い込むなど、「解放令」の影響は少なくはなかった。
その一人薄野の娼妓中村さきは、一四歳の時に身代金三〇両で高見沢権之丞のもとに抱えられ、以来函館で芸妓兼娼妓をさせられていた。高見沢権之丞は、草創期札幌で開拓使営繕掛手代を務め、妻がさきのような女性を数人抱えて世話をしていたらしい。高見沢は、五年函館から家族を札幌に呼び寄せ、以来さきは薄野遊廓若松富蔵方で芸妓兼娼妓奉公をさせられていた。ところが、六年二月の「芸娼妓解放令」を聞き、現在の抱主の許可を取りつけたものの、元抱主高見沢が何としても了解しないため、六年二月二十日付で実姉まさと連名で開拓使へ廃業の嘆願に出たものである(大村耕太郎資料 参考書四)。この結果については残念ながら不明である。
一方「官設」東京楼は、五年九月に開拓使の肝入りで開業したものの、開業間もない十月十七日人夫源兵衛の暴行事件が発生、ために二カ月近くも休業に追いやられた。それに加えて六年二月の開拓使による「解放令」布達の結果、廃業する者が相次いだらしい。東京楼の経営は、六年前半はまだ順調だったようで、貸座敷業者の営業成績(表15)でも松本は四位、城戸は五位を占め、二人合わせると二位の営業成績をあげている。しかし、問題は六年後半である。この時点で当時札幌の本府建設が一段落し、工事関係者の多くが札幌から相次いで退去しはじめたからである。東京楼でもこのため、「石狩国猟場(漁カ)へ貸座敷出稼ニ罷越営業仕候得共何分活計相立兼」る状況で、拝借金返済が滞りはじめた。翌七年七月、開拓使では東京楼の返済が滞っているのを理由に実態調査を行った。それによると、細々ながら営業を続けていたとみえて帳簿上では月平均一五〇円余の収入であった。これは、六年上期の一カ月分の営業高が六三八円余であったことから、四分の一に減じたことになる。やがて東京楼は、九年には完全に廃業に追い込まれたらしい。後年、松本・城戸両人は、開拓使の再三の拝借金催促に対し、拝借金の用途を、「即チ娼妓募集ノ為メト妓楼営繕等ニ費消スル所ニシテ娼妓ヲ解放スルニ当リ公布ノ趣ニ遵ヒ費消ノ金員ハ今更絶テ取立ノ道無之」と弁明し、「解放令」を盾に返済不可能を主張した。結局、東京楼の拝借金返済の件は、十五年九月二十六日付で「被下切」となり、返済残高七六九三円九〇銭九厘は棒引きとなった(旧開拓使会計書類 道文六八一七)。東京楼の娼妓たちの場合、全員ではないにせよまさに「解放令」によって解放された娼妓もいたとみてよいだろう。
表-15 貸座敷営業者営業成績表(明治6年1月~6月15日) |
順位 | 営業者名 | 売上高 | 家内数 | 奉公人数 | 備 考 |
1 | 中川良助 | 4232円57銭 | 7人 | 7人 | 越中屋 |
2 | 山本弥平 | 2931円97銭 | 4 | 5 | 〓 楼 |
3 | 山口重次郎 | 1853円87銭 | 2 | 8 | 山海楼 |
4 | 松本弥左衛門 | 1830円00銭 | 3 | 8 | 東京楼 |
5 | 城戸弥三郎 | 1680円95銭 | 2 | 8 | 東京楼 |
6 | 前野五郎 | 1315円45銭 | 3 | 3 | |
7 | 若松富蔵 | 1305円60銭 | 2 | 4 | |
8 | 菅原連之助 | 1288円30銭 | 5 | 6 | |
9 | 田最上七三郎 | 1130円86銭 | 5 | 2 | |
10 | 天野弥三郎 | 1072円87銭 | 2 | 4 | |
11 | 金子定吉 | 1058円12銭 | 4 | 3 | |
12 | 屋代浅之助 | 974円90銭 | 3 | 3 | |
13 | 田中重兵衛 | 754円55銭 | 2 | 5 | 昇月楼 |
14 | 古山仁三郎 | 656円00銭 | 1 | 2 | |
15 | 日野浦忠七郎 | 609円00銭 | 4 | 2 | |
16 | 伊藤孫左衛門 | 530円00銭 | 2 | 2 | |
17 | 平川久兵衛 | 399円09銭 | 4 | 2 | |
18 | 渡辺藤吉 | 355円00銭 | 3 | 3 | |
19 | 高瀬早平 | 348円80銭 | 2 | 1 | |
20 | 本間半兵衛 | 344円00銭 | 3 | 2 | |
21 | 高瀬健次郎 | 324円80銭 | 4 | 2 | |
22 | 富士良平 | 314円00銭 | 1 | 2 | |
23 | 室山一二 | 307円70銭 | 2 | 2 | |
24 | 山際久次郎 | 282円00銭 | 2 | 3 | |
25 | 鹿内清吉 | 255円50銭 | 2 | 2 | |
26 | 塩谷吉兵衛 | 198円00銭 | 2 | 1 | |
27 | 川目忠兵衛 | 128円21銭 | 4 | ||
28 | 上林峰三郎 | 115円00銭 | 2 | 2 | |
29 | 秋山久蔵 | 110円00銭 | 2 | 2 | |
計 29名 | 26707円11銭 | 84人 | 96人 |
『市民商業惣高取調』(新札幌市史 第6巻)、『札幌昔日譚』(北海道郷土研究資料 第二)より作成。 |