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昭和五~七年頃の札幌の大衆文化

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 ここでは、ラジオ放送がはじまり、不況が本格化する一方で、映画やラジオの記事が新聞の紙面の中心をしめ、洋楽においても重要な年中行事である建国祭音楽祭が定着する昭和五~七年頃に、札幌の大衆文化状況は成熟するものとして、この時期を分析したい。
 「享楽の都」と銘うたれた『大札幌案内』(昭6)は、青年教師大塚高俊が執筆したものであるが、札幌を「都会モダニズム」として描く。東京のモダニズムを札幌に重ねるアナロジーは、南一条十字街=銀座、狸小路=浅草の図式にきわまる。南一条十字街は、
代表的な商店、銀行、会社、軒を連ね交通も又頻繁に所謂市の重心たる処、札幌の銀座か。此処で目立つのはブックストアーとデバートメエント、これに客足の繁きを見ても成程学生町、役人町らしい。行人多く男女洋服、階級、教授・角帽・官吏・重役・女学生・奥様とお嬢様・田舎の見物団体・オブラート文化の副産物たるモガ・モボの出没も又頻り。

とされ、今井商店三越札幌支店(昭和七年から)、冨貴堂・維新堂の本屋、十二銀行や安田銀行の札幌支店、ステンドグラスが美しい喫茶店ルビーや亀屋などが集まっていた(札幌商工人名録)。
 そして札幌の浅草=狸小路の記載。「坂妻□を懸けた活動がある。カフェがありバーがある。大衆舞踊格の秋田踊りがある。辻音楽師が居るかと思へば、腕を扼して行人に嚙みつく大道大雄弁屋がある」。三条・ツバメ・エルムなどのカフェ、遊楽館三友館(外国映画専門で札幌で最初にトーキー発声装置を導入した)・盛賑館といった活動写真の常設館が狸小路にある。
 ご祝儀として、「文化」関係の記事が集中的に掲載される正月の新聞記事を中心にこの時期を分析したい。
 昭和初期の正月元日の新聞記事には、ほぼ毎年一面をさいて映画を特集する。まさに映画は娯楽の王者である。
 昭和六年には、ソビエト映画における、記録映画と芸術映画の領分が接近していることを、カウフマン「春」およびトウリン「トウルクシブ」などの作品を例に、袋一平が論じる(北タイ 昭6・1・1)。森岩雄も昭和五年度のでき事として、映画に不景気の影響が出たこと、自らが原作である日活の「ふるさと」など部分トーキー化の試みがなされたこと、フランスのシュールレアリスムといった「前衛映画」がつくられたこと、ソビエト映画が期待をもって紹介されたことをあげる(北タイ 昭6・1・13)。
 昭和七年正月元旦の森岩雄「今日の映画、明日の映画」では、アメリカでは一九三一年から三二年にかけてことごとくトーキー作品になっているのに対し、日本のトーキー化は甚だ幼稚で消極的であるとする(北タイ)。そうしたなかで、土橋武夫が開発したトーキーが実用化され、松竹蒲田作品、監督五所平之助、主演田中絹代・渡辺篤の「マダムと女房」が上映されたことが、昭和六年度の最大の事件であった(田中純一郎 日本映画発達史)。また、そのほかの特色として森は、現代劇と時代劇との区別が不自然であるのは、「歌舞伎の亡霊と、新派の怨霊」から映画が解放されていないことからくるとし、また剣戟映画の衰退を指摘する。「欧・米・日映画界新展望」の記事では、「嘆きの天使」でスターに躍り出たマレーネ・ディトリッヒと、グレタ・ガルボが比較して論じられる。そして日本では「マダムと女房」のトーキーをうけて、トーキーのスターとして水谷八重子、伊達里子、川崎弘子、夏川静江、井上正夫、早川雪洲(パラマウント)があがり、それに対置して、「啞(おし)(無声映画)のスタア」として、小杉勇、入江たか子、小日方伝、岡田静江などがあがっている。
 実際、第七章表10「昭和七年新春の映画界その他の興行」でふれたように、正月興行(四日まで)の目玉はトーキー映画であった。松竹座(南4西3)の邦画「マダムと女房」および三友館(狸小路5)のアナ・ベラ主演、ルネ・クレール監督の喜劇「百万〈ル・ミリオン〉」の二つが、昭和六年度に発声装置を導入した札幌の二つの映画館で上映されたトーキー映画であった。美満寿館(南5西3)の菊池寛原作(『キング』に連載された)入江たか子主演「心の月日」、遊楽館(狸小路九)の尾上菊太郎主演「倒幕宣戦の朝」、あるいは中央館(南3西2)の阪東妻三郎主演「風雲長門城」(新興キネマ)といったものは無声映画であった(北タイ 昭6・12・31~昭7・1・1)。
 ここで興味深いのは、「春は先づ日本語トーキーから」「憧れの絹代、今銀幕に口をひらく彼女の魅力満点」と銘うたれた『北海タイムス』(昭6・12・31)の松竹座の広告である(写真1)。この「マダムと女房」に併映されているのが、無声映画、子母沢寛原作・林長二郎主演・井上金太郎監督の「投げ節弥之」である。広告に出てくる、説明員(弁士)の五条楓声・東条秀声・織田暁堂・杉原芳翠、あるいは松竹座専属合奏の鶴亀、指揮原田録郎といった陣容は、後者の無声映画のためのスタッフであった。まさに無声からトーキーへの過渡期を象徴する広告である。

写真-1 トーキー時代の幕明け,昭和7年松竹座正月興行(北タイ 昭6.12.31)

 その他の映画以外の正月の演芸としては、北海道興行株式会社(南8西5)がプロモートする、「民謡界の人気王」安来玉子、「浅草帝京座専属名華」「ユーモア芸術」と宣伝される「色物」の中の家花奴が、札幌劇場(南3西1)に出演する。そして池田興行部が興行する、浪花〆子・桃中軒雲平・吉川今勝以下一〇人による男女合同東西浪曲大会が、盛賑館(狸小路1)で開かれる。
 映画と並んで庶民の娯楽となるのが、昭和三年に中島公園札幌放送局が開かれたラジオである。昭和七年末現在の札幌市域の加入数は八三五九にのぼる(聴取者統計要覧 昭和七年度)。
 七年正月三日、四日の目玉番組を『北海タイムス』からひろうと、「在満同胞慰安の夕」では、大津絵節のほか、札幌放送局から追分節(唄坂東信子・尺八飯田徳十郎)、正調松前追分節(唄今井篁山・尺八工藤豊月)を全国に流す。そのほか伊藤痴遊の新講談「日本の陸軍・海軍」、女流琵琶の「暁雞声」「鉢の木」や箏曲「七福神」、佐藤清吉指揮のコロナ・オーケストラがワグナーの歌劇「タンホイザー」やエリスの「夢かとばかりに」などを演奏する。そのほかラジオ体操、子供の時間、料理番組などもある。
 ついで音楽関係の記事では、六年一月一日付の『北海タイムス』は、「(一九)三〇年の本道楽壇を回顧して、札幌を中心にかなりの賑ひ、一流どこも相当来た」とする。四月からはじまる春の音楽シーズンには、北大文武会音楽部主催「新入生歓迎レコードコンサート」、北海中学校音楽部細民救済慈善ハーモニカ演奏会、六月の吉田清風夫妻と日本舞踊の新人花柳珠宝の「新音楽と新舞踊」、中山晋平・藤間静枝・平井英子・四ツ谷文子の「民謡と童謡と舞踊の夕」、鈴木静一のマンドリン独奏会、札商開校一〇年の「第一回記念音楽会」など。そして秋のシーズンは、庁立札幌高女校友会主催の公開演奏会、札幌混声合唱団の公開演奏会、田上義也のバイオリン独奏、札幌シンフォニー・オーケストラ、市役所主催の「慈善演奏会」、邦楽家連の「慈善邦楽大演奏会」、といった盛況である。この年を、「春の関屋敏子、秋のヂムバリスト氏独奏会等、漸次演奏会の顔触れが高まつて来たのが昨年の特色で、春秋一回づゝ世界の楽聖を招聘して演奏会を開催するといふ気運が一般に起ってきた」と総括する。
 また南一条十字街の冨貴堂楽器部の初売広告は、ハーモニカ五〇銭以上、バイオリン四円以上、マンドリン七円以上、山葉オルガン二七円以上、山葉ピアノ五〇〇円以上、蓄音器三〇円以上、レコード一円以上、レコードケース一円七〇銭以上とある(北タイ 昭6・12・28)。