同心長屋 市立函館図書館蔵
金 九万八千両 役所構築及五稜郭堀割
金 二万五千両 役所及役宅建築
金 二万両 亀田川堀割外囲土塁苗木植付その他
金 四万両 備砲
金 一万七百六十両余 備船その他雑費
金 十万両 弁天岬台場築設 金四万両 備砲
金 四万五千両 築島台場築設 金一万六千両 備砲
金 二万両 沖ノ口台場築設 金四千両 備砲
と五稜郭、弁天台場などの当初予算を記している。しかしこの予算で最後まで工事が行われたわけではなく、途中幕府財政の逼迫により予算が削られており、築島台場及び沖ノ口台場はついに予算不足のために着工するまでに至らなかったが、重要工事である弁天台場及び五稜郭は、早速着工の運びとなり、安政三年十一月、組頭河津三郎太郎祐邦、調役並鈴木孫四郎、下役元締山口勇之進、諸術調所教授武田斐三郎成章その他が、亀田役所土塁普請掛及び台場普請掛として任命された。
かくて設計監督は諸術調所教授武田斐三郎、土工工事担当松川弁之助、石垣工事担当初代井上喜三郎、庁舎及び役宅建築担当中川源左衛門(伝蔵)らによって安政三年十一月着工されたが、各地から土方人足をやとい、この他にも神山・鍛冶・亀田村の多数の人馬を使用していた。最も工事が盛んであった文久年間には六千人もの人夫が働いており、工事は着工以来八年の歳月の後、元治元年五月におおよそ完成し六月から箱館奉行小出大和守秀実は、箱館より奉行庁舎を移しここで政務を行うようになった。土塁及び堀の形が五稜の形をしているので五稜郭と呼びならわされた。郭の直径は約三二七メートル、面積約一七九、〇〇〇平方メートル、土塁の高さ七・五メートル、胸壁の厚さ六メートル、土塁の厚さ三〇メートル、外濠の幅三〇メートル、深さ六メートルであり、郭内の要所には弾薬庫六か所それに九〇〇坪の庁舎(木造瓦葺)と二二棟の付属建物が在り、飲料水も確保されていた。
なお建物は明治五年六月解体され、札幌開拓使、函館税関、函館の時任宅の一部に使用された。現在函館博物館五稜郭分館の脇に展示されているのは、当時の庁舎脇玄関の一部である。