城東面はシルト層や砂礫層の堆積のほかに、古懸浮石流凝灰岩と駒木浮石流凝灰岩に相当する軽石質砂層も確認されている。大和沢川から土淵川にかけては、面上に小比内(さんぴない)・豊田(とよだ)・城東・松ヶ枝(まつがえ)・堅田(かただ)が位置している。大和沢川以南でも、松木平-石川間に帯状に分布し、面上には石川城跡が位置している。面の高度は大和沢川以南では五〇~七〇メートル、小比内・豊田付近では三五~四五メートル、そして城東・松ヶ枝・堅田付近では三〇~三七メートルであって、およそ一〇〇〇分の七~八の勾配となっている。一般に、城東面は松原面および原ヶ平面の前縁にあって、川先・大清水地区の標高四五~五〇メートル付近がやや急勾配となっている。城南地区の山崎堤付近にも小規模ながら分布する。
ボーリング資料によると、豊田小学校(三五メートル)・市克雪トレーニングセンター⑥(三四メートル)・東小学校(二八メートル)・東中学校(二七メートル)では、地表下から黒褐色砂質シルト~有機質シルト層(N値三~四、厚さ一~二メートル)、暗灰色軽石質砂層(N値一六~二四、二~四メートル)、暗青灰色シルト~細粒砂層(N値一二~一六、一~三メートル)、暗灰褐色軽石質砂層(N値二四~三一、一~四メートル)、そして緑灰色シルト層(N値一〇未満)と砂礫層の互層(厚さ二〇メートル以上)の順に堆積している。城南三丁目の山崎堤付近(五八メートル)でも二枚の軽石質砂層が堆積し、上位の砂層直下には薄い泥炭層が認められる。
城東中央四丁目での地表下三メートル地点と八メートル地点、山崎堤の地表下二メートル地点と六メートル地点から採取したボーリング試料の重鉱物組成では、ともに上位の砂層は磁鉄鉱・紫蘇輝石・普通輝石・角閃石の順に多く含まれるが、下位には角閃石を含んでいない(図32)。この火砕流起源の軽石質砂層は市街地においては粘土化した軽石粒が目立ち、全体的に粘土質であってN値が小さくなっている。石川城跡では上位の古懸浮石流凝灰岩に相当する軽石質砂層に包含される未分解の流木から一万二六〇〇年前の年代測定値が得られている。