天正十八年(一五九〇)七月からの奥羽日の本仕置(おううひのもとしおき)が終了し、その仕置軍が帰還した直後の同年十月、奥羽の地においては、豊臣政権の徹底した検地・刀狩り・城破(しろわ)り・足弱衆(あしよわしゅう)の上洛(人質徴収)に反発し、国人(こくじん)衆が一斉に反対一揆を引き起こした。陸奥国では葛西(かさい)・大崎(おおさき)一揆、和賀(わが)・稗貫(ひえぬき)一揆が起こり、出羽国では仙北(せんぼく)・由利(ゆり)・庄内藤島(しょうないふじしま)一揆が起こった。この時、検地奉行として津軽の検地を終え帰国の途次にあった前田利家(まえだとしいえ)は、この起こったばかりの仙北・由利・庄内の一揆に遭遇している(資料近世1No.二七)。この奥羽の一揆に連動するかたちで九戸(くのへ)一揆も起こることになる。