寛文十年(一六七〇)五月二日に出された城門番所に対する訓令の大要を左に示すと、警備の厳重さが知られよう。
○城門は暮六ツ(午後六時)に閉じるべきである。夜詰や当番の者および召使の者が出入りする際は、よく尋ねて誰であるか確認して通すこと。夜詰の者が退出した後は門の出入りを停止する。ただし、どうしても必要な用事があって出入りする者は、大門で札(ふだ)(通行許可証)を改めて提出させて通行を許可せよ。
○江戸から来た飛脚はいつでもすぐ通すこと。
○昼に男女の門の出入りは厳重にチェックし、怪しい者は取り押さえて御広間の係に連絡すること。
○暮六ツ(午後六時)以後は女の出入りは停止する。
○城内から物を持ち出す者があれば、誰のところからどこへ持参するかを尋ねてから通すべきである。所々の夜番の者が寝具などを出し入れする際も同様にせよ。
○町々に火事や地震などがあった時、藩士が登城する場合には武者屯(むしゃたむろ)に留めておき、番所で登城者を帳面に書き入れること。藩主の住まいにはわけもなく入れないこと。もちろん、城の近くに火災が発生した時は別である。
○門およびその周囲の掃除は丁寧に行い、小便はさせないようにせよ。
(『津軽家御定書』一九八一年 東京大学出版会刊)
このような訓令は、その後もたびたび出されており、藩政期を通じて厳しく規制されていたことはいうまでもない。