全国的にみると、正月の廻礼や婚礼・葬礼・祭礼における礼装には、五郎丸(ごろまる)(麻布の名。袴地)・麻・絹製の裃(かみしも)か黒羽二重(くろはぶたえ)五ツ紋の羽織袴(はおりはかま)を用いており、裃より略装となるのが羽織袴である。これらを着用したのは一部の町人と思われる。羽織袴に次いで小袖と袴の組み合わせ、小袖と羽織の組み合わせ、小袖のみという順に略装となる。夏には浴衣(ゆかた)を用いるのがこの時代の特色であった。生地の種類でみると、一般の町人は絹・紬(つむぎ)・木綿・麻布を分限に応じて用いていた(谷田閲次・小池三枝『日本服飾史』一九八九年 光生館刊など)。
町人の衣服については記録が少なく不明な部分が多いが、「金木屋日記」の嘉永六年(一八五三)の一ヵ年間(資料近世2No.一九四)にみえる、城下有力商人であった武田家が着用していた衣服について、主な記事を抜き出してみることにしたい。