弘前市の文化財保護政策は国や県と同様、有形・無形ともにあった。いずれも市の文化・観光を考える上で重要なものばかりである。有形文化財の代表格が国の史跡となった弘前城跡であるならば、無形文化財のそれは祭りであった。すでに弘前市の祭りでは、春の観桜会(さくらまつり)と夏のねぷたが有名だった。しかしそれ以外にも観光関係当局は、策を練っていたのである。
春のさくらとともに、秋の紅葉は人々の観光意欲をかきたてる。青森県でも弘前城のさくらは全国的に有名であり、秋の紅葉としては八甲田山麓のそれが有名である。いずれも観光客を多数集めている。市町村合併を終えた弘前市としても、観光都市を目指すためには春の観桜会と夏のねぷたまつりのほかに、なにかもう一つの目玉が必要だった。そこで市当局と観光協会、商工会議所が共催して考案したのが、「菊ともみじまつり」の開催だった。
弘前城はあまりにも桜だけが有名になったが、松の古木・巨木が多いことでも注目されている。そのほかにも弘前城には一〇〇〇本余の楓が秋になると紅葉し、鮮やかな景色を見せていた。
市当局はじめ観光関係当局は、楓の紅葉に目をつけ、愛好家どうして行っていた菊の品評会とかけあわせて、弘前市秋の祭りとして売り出したのである。昭和三十七年(一九六二)十月二十七日、二三日間の会期を設けて「菊ともみじまつり」が開催された。弘前城内の青森県護国神社前広場で会場開きが行われた。商工会議所会頭が開会の言葉を述べ、弘前駅長が祝辞を寄せた。その後、名誉大会長の藤森市長がテープにはさみを入れ、風船と鳩が空に放たれた。まつりの最大のイベントである菊人形は有料会場だったが、観覧客が殺到し、団体客も訪れ人気上々だったという。
菊ともみじまつりでは、弘前城植物園を会場に、毎年十月から十一月にかけて開催され、豪華絢爛な菊人形や、愛好家が丹精込めて造った見事な菊花が出品される。弘前公園内の紅葉は、春夏とは違った弘前城を見せてくれる。春のさくらまつりや夏のねぷたまつりに対して、菊ともみじまつりは歴史も浅く、観光客も少ない。けれども秋の祭りとしては完全に定着している。