表5のように、改革初年から赤字経営に転じ、翌年のみ九〇〇余両の黒字を示すが、勘定帳には二割金利や残荷物代を加算して、この年も三九九三両余の赤字としている。改革前後で収支がどう変わっていったか、表5をもとに内訳の割合を対比したのが図4である。まず支出の割合をくらべよう。請負人をやめたので運上金や仕向金が不要となり、この項で改革後に残るのは鯡出稼の建網冥加金のみとなる。これに対し改革後大幅に増加するのは番人、稼人、アイヌ雇人などの給金や手当金で、いわば人件費が経営悪化の大きい要因となった。請負時代は思うままだったイシカリアイヌの差配は、改革後、改役所の許可を必要とし、その労賃を金納しなければならず、人員も少数に制限された。これをカバーするためいわゆる和人を雇うと、労賃はアイヌの七、八倍と高く、大きい負担になった。
図-4 改革前後の阿部屋の収支
収入をみると、改革前後で秋味鮭代の占める割合が大きく変わったことが読みとれよう。改革前、阿部屋が直接網引きをしていた漁場はすべて改革後も継承したが、その労務者確保がむずかしい。さらに山田家からの二八ないし三七役が入らず、加えてアイヌ自分網漁の集荷は一斉停止となった。したがって夏荷物代の比率は大きくなるが、その金額が増えたわけでないから、阿部屋の漁業収益は、改革により大きく後退していったことがわかる。